「秘密 THE TOP SECRET」20点(100点満点中)
監督:大友啓史 出演:生田斗真 岡田将生

原作の魅力を理解していないつくり

「秘密 THE TOP SECRET」の原作は、清水玲子による少女向け漫画ながら本格的なSF作品である。原作はボーイズラブ風味もある異色作で、いわゆる腐女子的なファンも多いだろうと思ったのか、この実写映画を任されたのは実写版「るろうに剣心」シリーズを大成功に導いた大友啓史監督。だが、その期待は残念ながら裏切られることになった。

死んだ人間の脳をスキャンし、生前の記憶を映像化するMRIスキャナーが開発された。これを犯罪捜査に生かすため、科学警察研究所法医第九研究室(第九)が設立される。若き室長・薪剛(生田斗真)のもとに配属された新任の青木(岡田将生)は、難事件を次々解決する薪室長の手腕に驚嘆する。だがMRIスキャナーは、決して万能ではないのだった。

生田斗真、岡田将生、松坂桃李といった若手の人気者をそろえたキャスティングといい、原作といい、監督の人選といい、ちょいと個性的なオンナノコ観客をターゲットに作ったと思われるが、この出来ではどうにもならない。

何がいけないかというと、ほとんど最初の1秒からいけない。たとえば冒頭、いきなり第九の解説から始めるそのセンスには呆然とさせられる。映画というものは映像も音楽も使えるのに、わざわざ説明書きから始めるとは教科書でも作る気か。

ここはせめてMRIの圧倒的な凄みを絵で見せるのが先だろう。それをみて客が「なんだありゃ?!」と仰天したところで解説を入れるならまだ話は分かる。だが本作のように、いきなり架空の団体の話を得意げにされても興味もわかない。開始早々、原作未読者を置いて行く気か。

未読者といえば、生田斗真のようなちゃらい若造がなぜ室長をやっているのか、彼らは最後まで納得できない事だろう。どうせ少女漫画だからテキトーだろ、などと思われては原作者があまりに不憫なのでここで書くが、これは原作ではちゃんとなされている理由付けを、映画ではおろそかにしているのが原因である。

これを改善するには、やはりMRIの見せ方がカギとなる。

まずはMRIと第九の圧倒的優位をド派手に描き、そのあとに音声ナシや5年制限などの弱点を紹介していかなくてはならない。生前の映像こそ見られるものの、そこに音がない不気味さ、真実と妄想の境界のわかりにくさ。それこそがこのふしぎ道具最大の足かせであり、物語のスリル発生源である。

つまりMRIが再現するのは脳内の記憶映像であるから、必ずしも事実とは限らないということだ。人は願望をさも現実のように記憶していたりするし、まして殺人者やジャンキーなどは常人では理解できない幻覚映像を見ているかもしれない。

他者の人生そのものといってもいいその曖昧模糊な映像を、まったく別の人間が補完、推理する。それこそが第九の存在意義であり、どんなイカれた人生(映像)に対してもそれができる唯一の才能だからこそ、薪は若くして室長でいるのだ。……と、こういうロジックだから説得力が生まれるのである。

なのにこの映画ときたら、その肝心の脳内映像再生時に音ナシにするどころか(演出上とはいえ)わかりやすく音をつけてみたりしている。せっかくのスリル発生要素がこれでは台無しで、まったく話にならない。

これはSF作品でチート要素が出てくる場合、その弱点をしっかり観客に把握させることの大切さを、作り手がまるでわかっていない証拠である。

SF作品内の世界観のルールというものは、ちゃんと目的があって設定されている。そこを読み解くことが大事だと、何度「超映画批評」で言い続けてきたことか。こんなにわかりやすく説明してやってるのに、日本の監督たちは同じ失敗を繰り返す。なぜ彼らは当サイトのダメ映画リストを増やすことに協力してばかりいるのか。マゾなのか。

もう一度まとめる。まずMRIのすごさを見せて観客をこのフィクション世界観に引き込む。次に弱点を見せて、それを補完する薪こそが最強だと見せつける。若造が主役の違和感をここで消す。

そのうえで、彼らを凌駕する、出し抜く犯人が登場するから盛り上がるのである。そしてそのピンチを救うのがなんと……、とくるから感動もするし、二転三転で驚くというわけだ。

この映画を作った人たちは、残念ながらこうした原作の仕掛けの目的、効果、そういうものが読み解けていない。だからやたらと原作を切り張りして、リアリティのないオリジナルキャラを出して、しっちゃかめっちゃかにしてしまった。

原作は少女漫画のお約束を踏襲して、おまけにボーイズラブ風味までまぶしてあるが、その骨組みは相当考証を重ねた本格派のSFである。これを女性向けに作ったのは、作者の果敢なチャレンジといってよい。そこを見てやらないでどうするのか。

この映画に限らないが、原作の読み込み、どこが優れていて人気なのか。それを見つける力がないとまともな映画化はできない。そしてもう一つ、既読者となったあとも、未読者の気持ちになってストーリーを再構築していく能力も必要である。

当サイトのようにこうした初歩から手とり足とり指摘してやる批評サイト、批評家などほかにはあるまい。そんな風に業界から嫌われる仕事など、誰もやりたがらない。

だが当サイトはそれを10数年やってきた。それもこれも、邦画レベルの底上げを誰よりも望んでいる、私が愛国者だからである。日本映画の未来を背負う作り手たちが、次なる作品にひとつでも生かせる点があれば幸いである。



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