「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」60点(100点満点中)
監督:ローランド・エメリッヒ 出演:リアム・ヘムズワース ジェフ・ゴールドブラム
IMAX-3Dの最高の環境で見てもこのくらい
20年前に公開された前作「インデペンデンス・デイ」は、日本でも113億円もの興収を記録。アメリカ万歳な内容から、ハリウッド史上まれにみる成功を収めた米軍プロパガンダ映画、などと評価されたりもしたが、この続編「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」も、専門家でさえ予想できなかったブレグジット直前に英国で公開されていたことから、同様の評価(?)を得ることになるかもしれない。
96年のエイリアン襲撃から20年、人類は次なる戦いに備えていた。エイリアンのテクノロジーを利用した動力システムやシールドをはじめ、月面基地には強力な母艦迎撃用の主砲も備え付けた。そしてついに「彼ら」はやってきた。だがその宇宙船のデザインは大きく異なっていた。前回の襲撃を知る技術者(ジェフ・ゴールドブラム)は、とっさに「攻撃するな」と進言するが……。
本作が英国紳士たちの独立心をどれほど刺激したのかはともかく、これみよがしな中国人キャラクターなど、相変わらず政治的な香りの高いエンタメ映画である。とくに大統領が「女」という設定は、前作をホワイトハウス試写会で絶賛してくれた民主党クリントン大統領(当時)への、まるで恩返しのようだ。
ただ前作はそれに加えて、エリア51やロズウェル事件が反撃の糸口となるなどオカルト好き陰謀論好きにはたまらない味付けの優れたUFO映画であった。さらに優秀なポリティカルサスペンスでもあり、人間ドラマであった。
だがこの続編は、そうした魅力的要素がどれも劣化しており、いささか盛り上がりに欠ける。
エイリアンは20年の進歩を感じさせない間抜けな戦法で攻めてくるし、対する米政府も相変わらずの行き当たりばったりな戦術で迎え撃つ。いや、細かく見れば決してそうではない事もわかるのだがこの映画、見せ方が下手すぎる。
たとえばウン十兆円もかけて月面や軌道上に据え付けた最終兵器も、ハッタリ満々な登場に比較して活躍シーンがあまりにしょぼい。物語上、本番前に一度その威力をセールする場面があるが、銀玉鉄砲なみのひ弱さで使えない感満載である。そのせいで、肝心の本番で観客に植え付けたい絶望の感情がまったく伝わってこない。
地上の迎撃軍も、20年間も準備していたなどというが、見るからに雑魚感漂うエイリアンのパクリマシンをそろえる勘違いぶり。メイド・イン・エイリアン技術なハイブリッド機では、本家に勝てるわけがないので戦う前からまるで盛り上がらない。架空の機体では人類代表感も感じないから共感もできない。
まがりなりにも前作にはF/A-18戦闘機などが必死の奮戦をくりひろげるスペクタクルがあり、実在の飛行機だから感情移入もしやすくなっていた。だからこそ、映画の中とはいえ世界の嫌われ者=米軍を全世界の観客が本気で応援するなどという奇跡が起きたわけだ。
エイリアンテクノロジーでもって敵に対抗するコンセプトの本作でも、たとえば戦法だけはせめてメイド・イン・地球のものにするべきであった。
たとえば戦闘機はすべて高機動な無人機として大量生産し、補給が続かない相手戦闘機に対して物量作戦で挑むなどといった、籠城側ならではの優位を生かした形にもできたはずだ。あくまで人類の知恵で戦う点を前面に出していれば、「架空の人類と架空のエイリアンが架空の武器で戦っているのを眺めるだけ」といった疎外感は感じずに済んだだろう。
しかししょせんはドイツ人監督の撮るアメリカ映画。歴史というものの重みをしらない新興国のコンビであるから、超文明=ハイテクに対抗する、ローテクや先人の知恵、知識の集積というアイデアを採用できない。ハイテクに対抗するにはそのハイテクを拝借するという、パクリ中国のような構図の脚本を採用してしまう。新興大国の、これが限界である。
前回、まがりなりにも多少の効果をあげていた戦闘機によるドッグファイトとか、そういうものを観客は覚えているのだから、その教訓をいかした準備なりをこの続編の米軍がやっていれば、盛り上がり方が違っただろう。こんな泥縄式の戦い方では、見ているほうが呆れてしまう。
要するに、ローランド・エメリッヒ監督は続編を作るのは初めてなので、続編モノの面白い作り方を全くわかっていないのである。それが今回露見したと言えるだろう。
そして恐ろしいことにこの映画にはすでにパート3が企画され、それは宇宙戦闘になるという。
「エイリアンの武器とテクノロジー」によってエイリアンと戦う人類。そこに「エイリアンの武器もテクノロジー」も持たない現実の我々地球人が、共感をさしはさむ余地はない。当サイトのような高い見識を持つイケメン批評家のような脚本家やアドバイザーが出てこない限り、このままでは3作目も失敗作に一直線であろう。再考を進言したい。