「ロブスター」70点(100点満点中)
監督:ヨルゴス・ランティモス 出演:コリン・ファレル レイチェル・ワイズ
素っ頓狂な世界設定
突拍子もない設定のドラマ「ロブスター」は、その比喩する現実がなにかを考えながら見るとより楽しめる、知的興奮ムービーである。
独身者は街での生活を許されない時代。身柄を拘束されたデヴィッド(コリン・ファレル)は、郊外のホテルで45日間の猶予を与えられる。この間、独身者のみ集められたこのホテルの滞在者の誰かと結婚をきめなくては、彼はかつての兄のように動物に変えられてしまうのだ。そして周囲の森には、逃げ出した独身者たちがコロニーを作ってひそかに暮らしているといううわさが流れていた。
相手を見つけないと動物変身罰ゲームというホテル。かたやおひとりさまでないと、裏切り者として恐ろしい粛清が加えられる森。どっちにいってもろくでもないこの世界を、主人公はさ迷い居場所を探し続ける。
この世界観を素直にみれば、家族主義と個人主義のカリカチュアとして描いていると思うだろう。しかし、見ようによっては色々なものの例えにも見える。そこがユニークだ。
たとえば日本では今、自民党が家族主義をおしすすめ、個人の人権を後退させる形での憲法改正を目指している。「家族にあらずんば人にあらず」とでもいうべきこの映画の世界観における"体制側"は、これら片寄った右派全般を指しているようにも見える。
一方、あさま山荘リンチ事件を思わせる森の中の恐怖統治は、左翼リベラルというものが一見個人の自由を尊重するようにみえて、仲間から外れる者に厳しいその特徴を表しているかのよう。ときに異様な残酷さを見せるあたり、まさにその悪しき特徴そのものである。
不自由で押し付けがましい体制側からあぶれた人々の受け皿になってはいるが、ある意味体制側よりも恐ろしい本質を隠れ持つ。なかなかリアルである。
映画には、この両勢力を代表するヒロインがそれぞれ出てくる。体制側には、主人公が「死ぬよりはまし」と妥協して伴侶に選んだ冷酷な女性。ゲリラ側には、森を統治している女リーダー。その二人だ。
彼女たちを比較してみると、いろいろと考えさせられる。前者の冷血さは性癖というか、ほとんど性格破綻者なのだが、偶然にも今の体制にぴったり合致した特性なので、この世界では極めて優秀な人間と言うことになっている。
一方、後者の女性はあきらかに本能とは違うことを、こうあるべきという思想のもとに仲間に強いている。自分はそれに染まっているからいいが、息苦しい決まりに拘束される周りはたまったものではない。
これは、つまり人間の良し悪しを見るには、その属する社会をまずは見なくてはならないということ。世間的に立派と言われている人が本当に尊敬に値するかは、そうしなくてはわからない。
いかれた世の中では、そこで評価される人間もいかれていると言うこと。当たり前のことだ。では、果たしてあなたがすんでいるその世界は、いかれていないと言い切れるだろうか?
主人公は、そのいかれた世界で、はじめてまっとうな愛に出会う。それを守るならば、常識ではいかれてるとしか思えないようなことをしなくてはならない。それははたして正しいのか否か。
結末は観客に委ねられる。最初から最後まで、大いに考えさせられる大人向けの知的な作品と言える。いろいろ妄想を膨らませる人にはぴったりな作品である。