「海難1890」40点(100点満点中)
監督:田中光敏 出演:内野聖陽 ケナン・エジェ
お涙ちょうだいすぎる
安倍首相きもいりで製作・公開される愛国映画「海難1890」だが、首相の盟友というべき合作相手のトルコのエルドアン大統領はいまやISの庇護者として悪名が広まっている有様である。アベノミクス外交映画として大々的に保守派に広めたかった映画会社としては、きっと頭を抱えていることだろう。
1890年トルコの使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号が、帰国途中に和歌山県沖で座礁する。闇夜の嵐の中、命がけで船員を助けたのは医師の田村(内野聖陽)をはじめとする近くの貧しい漁村の人々だった。それから95年後、彼ら無名の日本人の活躍をトルコは忘れていなかった。85年のイランイラク戦争で窮地に陥ったとき、日本人は彼らの友情の深さを知ることになる……。
「海難1890」のだめな点は明らかで、日本とトルコの両方に気を使いすぎているという事である。協力してくれた政治家の顔を立てたいから、こういう手の縮んだ偽善的なものができあがる。「海難1890」のお涙ちょうだい、とくに後半のそれは悲しいほどにチープである。
この映画では、エルトゥールル号沈没事故の原因といわれる人災については無かったことにされているし、そのほかにも両政府に都合の悪い内容は描かれない。当時の日本で大々的に起きた義援金集めの様子やそれに協力したマスコミ、国民の努力もオールカット。まるで日本には、地元の貧しい漁民しか住んでいないかのようだ。
むろん、この村人たちの命がけの働きは無条件に賞賛されるべきであるが、その描写にも不満が残る。
たとえば非常時備蓄の意味合いがある鶏を拠出するエピソード。これをやるなら、前段階というか伏線として、(しばらく台風などで出航できず)どれほど住民が困窮していたか、そしてこの鶏がいかに重要なものかを見せておかなくてはいけない。そういう、面倒で演出力が必要な手仕事をおろそかにしているから、なんだかけちんぼな住民たちがぜいたく品を出し惜しみしているかのような印象を受けてしまう。鶏はぜいたく品ではなく、命をつなぐ最後の希望であることを示さなくてはだめだ。
それでも海難事故を描く前半はまだいい。説明すべきをせず、なのに不要な説明的セリフばかりでうんざりはするが、やはり国民レベルの善意、素朴な日本人の思いやりというものは今でも我々が失っていないものだから共感できるし、素直に涙がでる。
悪いのは後半の、トルコの恩返しパートである。
ここは美談の主体が「国・政府」になるから、ただでさえうさんくさくなりやすい。より演出力が問われる難しい部分だが、前述の通りこの映画の作り手は現在の日本・トルコ政府の顔色をうかがいながら作っているので、プロパガンダ臭がひどい。
あんな場所で演説して、それだけで大衆の気持ちががらりとかわる。そんなバカな話があるかと誰もが失笑するだろう。トルコ人を必要以上にアゲたいばかりに、恩をうけとる日本人がワガママ非道に見えてしまう。日本人なら不愉快とまでいかなくとも、複雑な心境になるはずだ。
エア御用なのか真正なのかはしらないが、プロパガンダとしての使命感がこの映画を、そして両国の歴史に残る美談にもケチをつけてしまった。
こと、映画に政治が絡むとろくな事にならない。とくにハリウッドと違い、日本はそういう企画にまだ慣れていないなと「海難1890」を見ると痛感させられる。