「インサイド・ヘッド」60点(100点満点中)
監督:ピート・ドクター

せっかくのアイデアも先を越され

中国の新作アニメが「カーズ」をパクったとのニュースは、同情とともにさすがはピクサーだと人々を感心させた。だがそんなことより、自分のところの最新作が極東のマンガ映画のアイデアの二番煎じであることのほうが、よほど深刻な問題である。

11歳の少女ライリーの頭の中には5人の感情が日々会議をしてライリーの行動を決めていた。リーダー格のヨロコビ(声:エイミー・ポーラー)はライリーが大好きで、彼女が幸福でいられるように奮闘している。ところが常にマイナス思考のカナシミ(声:フィリス・スミス)が、いつも足を引っ張ってくる。いったいぜんたい、なぜカナシミみたいな何の役にも立たない感情がここにいるのだろうか。

アイデアが似ている程度の作品は数あれど、脳みその中で数名が会議をして紛糾するプロットは、偶然にしてはあまりに……と思われても無理はない。公開時期が近すぎるてんもまたしかり、だ。親会社のディズニーも似たような疑惑を繰り返しているのでなおさらである。

そんな水城せとなの「脳内ポイズンベリー」を彼らがリサーチ済みだったかどうかはともかく、映画として先を越されてしまったのは事実。しかも、対象年齢が異なるとはいえ純粋なコメディーとしての面白さで、あちらより劣るのだから後発としては残念感が漂う。

アニメーションとしての見どころとしては、感情の島が最初に崩れる場面があげられる。このときの喪失感、絶望感は相当なものがある。

また、あるキャラクターの自己犠牲のシーンも、まあ正直なところ予想通りのお約束ではあるのだが、熟練のお涙ちょうだいテクニックによってかなり泣ける場面となっている。

記憶に対して私たちが気付いていることを、こうした突飛な発想のアニメーションの形で語るという試みは、いかにもピクサーらしい。

古い思い出は消えてもいいんだ、それが自然なことなんだよ。と語りかけるその場面は、切ないが正しい。そうやって私たちはほんのいくつかの大切な思い出だけを残して、あとは忘れてゆく。

もしライリーくらいのお嬢さんがいる親御さんがこれを見たら、自分の子供たちもこうして今の幸せな思い出を、自然に忘れていくんだろうと気付くはずだ。それは確かに悲しいが、決して悪いことではない。そして、そのときは必ず来る。そんなことを考え、涙を流すことだろう。

色鮮やかないくつもの少女時代の思い出が、次々と色を失ってゆくシーンは、アニメーションでなければできない表現であり、非常に効果的である。その主張にも素直に共感ができる。

さて、この作品最大にして唯一の謎は、「カナシミの存在意義」である。いったいなぜ、こんな役にも立たない奴が感情5人衆に入っているのか。ヨロコビがその謎を解くとき、最大の感動が訪れ、観客も合点がいくというわけである。

ただ問題は、その部分をもう少し意外性ある形でこちらに提示してもらえればな、といったところ。そこのところの演出が、ピクサー作品としては平凡である。



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