「チャッピー」65点(100点満点中)
監督:ニール・ブロムカンプ 出演:シャールト・コプリー デヴ・パテル
社会問題SFふたたび
ニール・ブロムカンプ監督は「第9地区」など、社会問題を盛り込んだSFづくりの名手として知られるが「「チャッピー」もその流れにそった最新作。できばえも上々で、「エイリアン」の次回作に抜擢されたのも納得である。
舞台は2016年の南アフリカ、ヨハネスブルグ。治安悪化に対して当局が投入した人型警官ロボットの開発者ディオン(デヴ・パテル)は、長年の夢をついに実現させた。それは成長する人工知能AIを組み込んだロボットの開発。だがそれはストリートギャングに奪われ、チャッピーと名付けられ彼らによって育てられるハメになってしまう。
「チャッピー」の美点は、人間による善悪の判断などじつにあいまいであてにならないという真理を、観客自身に疑似体験させてしまう物語構造にある。
具体的に言うと、チャッピーを対警察最終兵器として利用すべく育てていたギャングたちがチャッピーと心を通わせるうち、いつしか観客も彼らの側に肩入れして応援したくなる演出のこと。
だが、そんなクライマックスに熱狂したのちに私たちはふと気づく。あれ、今俺たちが応援してた奴って、本当にいい奴らだったっけ、と。
そのあとに、ああ、自分を含めた常識的な判断という奴を過信しちゃだめなんだなと反省することになる。そういう仕組みの、これはなかなかいい映画である。
そもそも、この映画の舞台であるヨハネスブルグは今でも地上最悪の犯罪都市。リアル北斗の拳を地で行くおそろしい人外の地である。
ここでは、ロボット三原則なんてものを守っていたらロボットでさえ生きてはいけない。なんといっても一人で外出したとたん、ロボットまでリンチに会う無法地帯である。
単純な善悪二元論などでは語れない。むしろ善悪がマーブル模様のように混じりあった現実世界を、この映画はとびきり非現実的な人型AIロボットという存在を通して描こうとしている。
ロボコップをはじめとする過去のSF作品ファンには数々のオマージュを発見できる、そんな見た目のおもしろさがあるから、こうした堅苦しいテーマも気楽に見られるだろう。
最後には命とはなんなのか、心とはなんなのか考えさせられる、これまたAI時代にはぴったりな問題提起もあり飽きさせない。
チャッピーをそだてるギャングたちの当初の目的や感情が説得力を持って変わっていく様子もまた思わせぶり。何気なく作った赤ん坊によって親の方が変わっていく、これぞ育児の本質である。
こうしたメタファーの多重構造が、無意識に本作の鑑賞後に希望を感じさせるように配置されている。3作目にして、熟練のテクニックを感じさせるニール・ブロムカンプ最新作である。