「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」55点(100点満点中)
監督:アレハンドロ・G・イニャリトゥ 出演:マイケル・キートン ザック・ガリフィナーキス
作品賞だが地雷映画
米アカデミー賞は設立時からねぎらい空気というか、功労賞としての役割が強い賞である。ならば12年間も企画を継続させた「6才のボクが、大人になるまで。」でもいいだろうと予想していたが、結果としてはそれ以上にマイケル・キートンをねぎらう空気が盛り上がったようだ。
娯楽映画『バードマン』でスターになったリーガン・トムソン(マイケル・キートン)は、その後イメージチェンジに失敗し、いまや落ちぶれていた。再起をかけるべく彼が力を入れているのが自ら脚色した舞台「愛について語るときに我々の語ること」。だが、他のキャストや娘との確執に苦しむ彼は、本番を前にさらに追い詰められていくのだった。
撮影賞もとった本作だが、巷で言われているほどワンカット長回しをほめたたえる気にはならない。ヒッチコックの昔ならいざ知らず、デジタル技術全盛の今、こうしたルックの映画を作るのはそれほど難しいことではあるまい。
むろん、他の映画のようにカットを編集時に気楽に取捨選択できない(前後のショットが絵的な意味でつながらなくなるため)不自由はあるだろうが、それはそれ。手法じたいはたまに見かけるし、そのひとつ「エンター・ザ・ボイド」(09年、ギャスパー・ノエ監督)の常軌を逸した浮遊感と違って本作のカメラワークに新鮮さは薄い。
やはりそれ以上に、当て書きと思しき主演のマイケル・キートンを褒め称える空気が強かった。バットマンを演じながらその後低迷した彼と同じような主人公リーガンが、プライドを守りながら必死にもがき苦しむ。そしてある種の救いに到達する(……のかどうか、ここは解釈がわかれるかもしれないが)。
こうしたハリウッド内幕的な物語は、やはり業界関係者の共感を呼ぶということだ。
一方、彼らによる異様な高評価を鵜呑みにすると、それ以外の人々にとってはさほどおもしろい映画ではないとの結論になる可能性も高いとみる。
人気がある限り続けられる中身のないブロックバスターシリーズ。そこで色を付けられたスター俳優は、莫大なギャラと引き替えに簡単には方向転換できない重い足かせをはめられる。そこから抜け出ようと極端にアート思考になるなど、ここで描かれるのは業界の「よくある」集。
本作は、ハリウッド業界人がわがことのように感じられるこうした主人公の境遇に、うまいこと共感できる人以外にとっては、地雷になりかねない作品である。
とくに、アメコミ映画に興味がない、アメリカのショウビズ界にもまたしかり、なによりマイケル・キートンがどういう人生を歩んできた人か知らない。
そういう人は、遠慮しておいた方が無難である。