「ソロモンの偽証 前篇・事件」55点(100点満点中)
監督:成島出 出演:藤野涼子 板垣瑞生
演技や映像はいいのだが
原作ものの映画化において、監督以下スタッフは当然ながら原作を読んでから挑む。それが有名だったりベストセラーだったり大御所の作品だったりするほど、そのエッセンスをどう映像化しようと頭を悩ませることになる。そしてそこに、ぽっかりと落とし穴があいている。
雪のクリスマスの朝。登校した涼子(藤野涼子)は同級生・柏木卓也(望月歩)の落下死体を発見する。警察や学校の調査により自殺かと思われたが、何者かによる告発状は、彼の死が同級生によるイジメ殺人であることを示唆していた。
原作を読み込めば読み込むほど、未読者の気持ちからは離れていく。これはやむを得ないことだが「ソロモンの偽証 前篇・事件」はその落とし穴に片足が落ちており、未読者が映画版だけを見るといろいろな不具合に遭遇する。
その最たるものは「いったいなぜこの話はわざわざ前後篇にわかれているのだろう」ということだ。
むろん、原作は文庫本6巻にものぼる大長編で、これでもぎっしぎしにつめこんだんだよ、という脚本家の心の叫びは容易に想像できる。
だが映画を見ると、スタッフおよび既読者にとって当たり前の謎が、未読者には全く伝わっていない。これは大きな問題である。
具体的には、序盤に登場する「自殺者」。これについて、未読者はおそらくなんの疑問も謎も感じないだろうと言うこと。
なのに登場人物たちは怪文書の内容を信じ切ったかのように右往左往し、あげく校内疑似裁判なんてものを子供たちだけで開くなどと言い出す。教師も協力していたりする。ところがその開催じたいは引っ張りまくって後篇でどうぞと、こう言うわけだ。
しかし、当の劇中で、これは自殺であり事件性はないと警察の言葉を借りて伝えている。細かい部分はともかく、その主張はたしかに筋が通っており、普通の人ならこれが自殺であると納得せざるを得ない。
となれば、いったいその「事件」のどこにミステリがあるというのか。子供たちの直感じみた感覚だけか。
ここは警察の捜査とその結論を覆すほどの説得力のある「違和感」「ミステリ」というものを提示しなくては、そもそも話が成立しないではないか。まして前編後編と3600円もの入場料をとるほど引っ張る話なのかと、未読者の誰もが思ってしまう。
もっとも映画自体はよくできていて、オーディションで選ばれた子役たちなど特によく動いている。
大手芸能事務所のタレントを、むりやりスケジュールを空けていただいて主演にしているわけではないから、髪型も90年代っぽく変えてあるし、服装もしかり。戦争映画なのに今風の2ブロックヘア、なんてむちゃくちゃな見た目になっていないだけでも特筆ものである。そんなことを喜ばざるを得ないこと自体が、邦画の情けないところではあるが。
とはいえ、そうした最低ラインをクリアした珍しい映画だったからこそ、宮部ミステリ最大の魅力である重厚なストーリーテリングのおもしろさをも再現してほしかったところ。
上映後の後編予告がいちばんドキドキして、一番感動するというのはあんまりだ。あれを見れば、誰だっておもしろい場面は全部後編じゃないかと憤慨する。