「フォックスキャッチャー」70点(100点満点中)
監督:ベネット・ミラー 出演:スティーヴ・カレル チャニング・テイタム
五輪メダリスト殺人事件
「愛国心とは、ならず者の最後のよりどころ」と言ったのは英国の詩人サミュエル・ジョンソンだが、ならず者のところを別のものに差し替えても十分通用する。たとえば現代日本ならワーキングプアとか底辺層とか引きこもりとか、そんな感じだ。要するに、自己実現できなかった者やしいたげられた者たち、自尊心を満足させられないある種の鬱屈した人々にとって、愛国思想は魅力的に映るということである。
84年のロス五輪アマチュアレスリングの金メダリスト・マーク(チャニング・テイタム)は、しかし収入が乏しくその日暮らしの不遇に甘んじていた。一方、同じく金メダリストの兄デイブ(マーク・ラファロ)は幼いころからの親代わりで尊敬すべき唯一の肉親だったが、すでに家族を持ち競技生活にも未練なく、国民の人気も高い。そんなとき、マークに声をかけてきたのはデュポン財閥の御曹司ジョン(スティーヴ・カレル)。ジョンがいうには、自分の邸宅にある私的なレスリング養成所フォックスキャッチャーのエースとして、破格の待遇で来てくれというものだった。
風変わりな大富豪が五輪を制する野望を持ち、実際にカネに飽かせてマーク兄弟をスカウト、豪華ジムで住み込み特訓をさせるというマンガのようなお話である。
また、これは実在の殺人事件を、主要な関係者を実名で描いた大胆なドラマでもある。役者の年齢がちょいと無理があるほど実物と離れていたりなど、少々気になる部分はあるものの、それを上回る役作りと演技力によって、「演技合戦を楽しむ映画」として見ごたえのある作品に仕上がっている。
とくに評価が高いのがスティーヴ・カレルで、かつての40歳の童貞男が見るからに狂気をはらんだ大金持ちの役をパーフェクトに演じきっている。あまりに真に迫っていたか、関係者の一部がこの映画にえらい文句を言っているようだが、それくらいの迫真さがあったことは間違いない。とにかく最初の1秒から、ものすごい緊迫感である。
それは「この話は、どこかで人殺しがおきる」という先入観があるからだが、そのおかげでちょっとしたいさかいや人物のふるまいにもビクっとしてしまう。アメリカ人にとっては周知の事件で退屈かもしれないが、日本人の多くにとってはそんな強烈なスリラーになっている。
ところで大富豪ジョンとマークの間には、ちょいと理解しがたい強固な絆というか、距離感の近さのようなものが描かれている。いったいなぜ彼らはこんな気味の悪い関係になったのか。
その答えは、この二人には重要な共通点があったからだと推察できる。一言でいえば愛国心、である。そしてこの場合のそれは健全な形で発生したものでなく、二人とも人生に満足できていないから、その逃げ場として採用せざるを得なかったような扱いである。
経済力すなわち資本主義的ピラミッドの頂点とド底辺の二人が、同じ思想に逃げるほかないという構図が、本作最大の慧眼と言える。そしてそれこそが悲劇を招いた。
格差の両端には狂気が宿る。その事実は、さらなる格差拡大にすすむ我が国にとっても他人事ではあるまい。
結局、殺人者がなぜあの人物を殺したのか、その理由は完全には明らかにはされないわけだが、間違ってもそこを批判すべきではない。ようするに、それは映画にとってたいして重要ではなかったということだ。