「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」50点(100点満点中)
監督:サム・テイラー=ジョンソン 出演:ジェイミー・ドーナン ダコタ・ジョンソン
オサレなエロ映画
日本では、ガラケー全盛時代にケータイ小説なるジャンルが一時期はやったことがある。解像度の低い画面と、解像度の低いオンナノコの頭にぴったりな、エログロ満載文学的表現皆無の娯楽作品で、いくつかは映画化されたこともあった。
時は過ぎ、一周まわってその傾向はアメリカで「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」として花開いた。原作は主婦の間で大ヒット、電子書籍でこっそり読める「ママたちのポルノ」として一世を風靡した。映画「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」は、満を持したその映画版である。
女子大生アナ・スティール(ダコタ・ジョンソン)は、ルームメイトの代理で若き大富豪クリスチャン・グレイ(ジェイミー・ドーナン)のゴージャスなオフィスに出向く。学校新聞の取材インタビューだったが、ドジばかりふむアナに興味を持ったクリスから、やがて奇妙な契約を持ち出される。
さて、その契約というのが本作最大のポイント。簡単に言うと「ボクはド変態のSM趣味があるので、それをセフレとして受け入れてね」ということだ。その見返りはもちろん、ダイヤペットのようにスーパーカーを買い集める彼からの豪勢なプレゼント攻勢や食事、ペントハウスでの贅沢三昧。
与沢翼の大久保のタワマンが貧乏長屋に思えるほどに破天荒な金持ちであるクリスは、同時に非の打ちどころのないイケメン。おまけにピアノの腕はプロ並み、割れた腹筋でスポーツ万能、しかも若いときた。全米のマミー読者たちが目をハートにして、幸せな妄想を掻き立てるに十分なスーパーマンだ。
これではあーたんならずとも陥落確実と思われたが、しかしアナちゃんは難攻不落。簡単には契約を承諾せず、絶妙に自分の要求ばかり通させる。序盤のドジっ子設定を忘れたかのようなこの恋愛巧者ぶりは個人的には目に余るが、これはマミーたちの妄想話なのでリアリティや整合性などはどうでもいいらしい。
さて、アナちゃんは何もしらないうぶな処女のはずだが、かようにうまく立ち回る。その理由は、このキャラクターが全女性読者・観客の感情移入先だからにほかならない。
彼女たちは、たしかに今はモテないかもしれないが、かつては男性からそれなりに言い寄られた元モテ子たちである。だから結婚もでき、お子さんもいるわけだ。
処女で若いアナは、彼女たちから見れば自分たちがかつて持っていた最強の武器を備えたリーサルウェポンであり、だからクリスのような非現実的な男とも対等に渡り合える(と信じている)。男たちから見ればありえない設定でも、彼女たちはアナの無敵感を体感的に理解できるので、このファンタジックなストーリーをすんなり受け入れられるのである。
肝心のセックスシーン、SMシーンは全体的にソフト路線。ド変態などといいながらしょせんはイケメン。やっていることは普通のカップルが明日から実践可能なことばかり。それでも映倫による全力のボカシ挿入により、画面の過半は真っ暗闇だ。
ただし、SMをハードにしすぎると「花と蛇」のごときギャグ作品になってしまうから、これは妥当なさじ加減。タイトルもなんとなくオサレだし、エロ映画とは思われにくい。オンナノコ同士で見に行くにはちょうどよかろう。私はこのマスコミ試写会で偶然旧知の女性編集者と遭遇し、あとで感想を聞いたが、「中盤以降のSMプレイはちょっと引いた」と言っていた(具体的なプレイ名はあえて伏せる)。
あんなのじゃ物足りないよねー、とか先に言わないでよかったと、その時私は心底安堵した。ここに書いたら意味ないが。
さて、そんなSMプレイのあれこれだが、物語的にはこれはつかみのネタにすぎない。真に言いたいことは、ようするにこれはフィクションだから極端に描いているけど、現実にもこういうカップルの心のすれ違いってあるでしょうと、そういうことだ。たまたまSM設定になっているだけで、話の骨格は極めて普遍的である。
男は女に自分の好みを要求し、女はしぶしぶながらつきあうが、エスカレートしていくと我慢強い女もだんだんアナのようになりますよと、そういうことだ。だから変態描写が多い割にこの映画は「こういうのあるある」とか「なんとなく気持ちがわかるわー」といった感想が多くなるはずだ。男女の立場を象徴的にあらわしたエレベーター扉をはさんだ会話。最初と最後で対となるこのショットが本作のキモである。
空のデートをうっとりとプリティ・ウーマン気分で楽しみ、夜はナインハーフ的な官能をありのままに堪能する。女性のあこがれをつめこんだ、エロ映画界のアナ女王様の物語。そんな「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」を、子育てにちょっと疲れた全日本のマミーたちにおすすめしたい。