「バトルフロント」40点(100点満点中)
監督:ゲイリー・フレダー 出演:ジェイソン・ステイサム ジェームズ・フランコ

ジェイソン・ステイサムの幅の狭さ

チャック・ローガンの犯罪小説をシルヴェスター・スタローン脚色した本作は、元々彼が主演する予定で書いていたもの。ランボーの完結編的な意味合いも持たせたかったというが、もしそうだとするならば、なかなか奥深いテーマを語っている作品であるl。

元麻薬潜入捜査官のフィル(ジェイソン・ステイサム)は、まだ小さな娘マディ(イザベラ・ヴィドヴィッチ)のため、危険な仕事からの引退を決意する。亡き妻の故郷で慎重に隠遁生活を始めた彼らだったが、ふとしたトラブルから麻薬密売人ゲイター(ジェームズ・フランコ)に目をつけられてしまう。

ズバリこの映画のユニークな点を言うならば、武力よりもコミュニケーションが平和維持の鍵である、と語っている点だ。

絶対的な力だけでは愛するものを守ることはできない。武力よりも効果的なものがあるのだとこの映画はいっている。ランボーのスタローンがそれをいうから、味わいがある。

本作におけるこの主張は、ジャンキーですら「あたしたちは住民なのよ」と語るシーンに集約されている。たしかに麻薬や暴力を振るうものたちは悪かもしれないが、それでも彼らがここで暮らしている住民である限り、極端な破滅はもたらさないのではないか。

そこまではむしろ、反グレなほうがプロの犯罪者よりも行動が読めないぶん、恐ろしいと思わせる演出だっただけに、この主張の提示は意外性があり、かつ説得力もある。

それに対し本職マフィアの行動は読みやすいが、共存共栄できない=破滅までいきかねない恐怖というものが常にある。この差=違いというものを語るのがこの映画最大の特徴である。

いい視点だとは思うものの、ラストシーンにおける主人公の行動がその純度を下げており残念。ここはああいう形ではなく、もう少し不安感を残すような形にすべきところであった。

演じるジェイソン・ステイサムが、良き父親役にどこか似合っていないのもマイナス。この人はモデル経験がありながら、絶望的に私服のチョイスがおかしいことで知られているが、それはつまり似合う服がきわめて限定されているという意味でもある。

この映画では、チェックのネルシャツやデニデニのコーディネイトなど、アメリカの田舎風のファッションで登場するが、その似合わなさが役柄への違和感そのものとなっている。

結局彼にはダークスーツ&白シャツ・ノータイスタイルしか似合わないように、俳優としても演じられる役がきわめて狭いのである。



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