「アメリカン・ハッスル」55点(100点満点中)
監督:デヴィッド・O・ラッセル 出演:クリスチャン・ベイル ブラッドリー・クーパー

猪瀬事件も早く映画化したら

法律や慣例、常識といったものは、長い間の社会生活の中で人が暮らしやすく、トラブルを防止して穏やかに過ごせるよう、工夫を重ねられた結果生まれたものだ。

だからほとんどの場合、それらは有効に機能するが完全ではない。いつの世もそれら「きまりごと」の枠をはみ出す人間が存在し、彼らは自らの価値観にあわない「きまりごと」からの攻撃に耐えながら生きている。

詐欺師アーヴィン(クリスチャン・ベイル)と愛人のシドニー(エイミー・アダムス)は、ついに年貢の納め時でFBIに逮捕されるが、担当捜査官リッチー(ブラッドリー・クーパー)は彼らに意外な提案をする。それは、罪のおとがめなしを条件に、カジノ利権に群がる政治家とマフィアを架空の投資話に引き込み、一斉逮捕するおとり捜査への協力であった。

70年代におきた収賄スキャンダル、アブスキャム事件を映画化した「アメリカン・ハッスル」は、詐欺師とFBIの前代未聞のタッグによる騙しあい成否にドキドキわくわくするコンゲーム。だがそれ以上に登場人物の人生ドラマ、人間関係に興味をひかれる作品である。

「アメリカン・ハッスル」にはいろいろなダメ人間がでてくるが、それらが語るのは、法律だの世の中の仕組みといったものの至らなさ、である。

冒頭に書いたとおり、法律や慣例はつねに未完成かつ不十分だから、その枠を外れた人には理不尽な足かせとなる事も多い。恋愛一つとっても、結婚して一緒に年老いて……なんて常識的展開を望まぬ人もときにはいる。それとて愛は愛なのだが、相手の理解を得られなければ、苦しみと共に自ら去らねばならない。たとえ愛していたとしても。

「アメリカン・ハッスル」にも、そうした「世間の常識」からの攻撃を受け苦しんでいるはぐれ者が何人もでてくる。

たとえば主人公アーヴィンは、ジェニファー・ローレンス演じるどうしようもないダメ妻ロザリンに支配されているが、これは万が一彼女と別れたら、最愛の子供の親権を奪われてしまうからだ。だから彼は、不本意でも服従するほかはない。人間のクズを絵にかいたようなロザリンでも親権はとれる。仕組みや法律のいたらなさが、アーヴィンを傷つけている。ここでのジェニファー・ローレンスの演技はすごいものがあり、こんなに人を不愉快にさせる態度をとれる女はなかなかいない(たまにいる)。

そんなアーヴィンが騙すことになるのは、気のいいカーマイン市長(ジェレミー・レナー)。カーマインは人間的魅力にあふれており、やがてアーヴィンと親友となる。このカーマインも、こうしたはぐれものの一人だ。

まともな家庭と幸せを築いているように見えるが、彼は政治家としてマフィアとのつきあいを容認している。町のことをだれよりも真剣に考え、利己ではなく愛する郷土のために身をささげるこの男でさえ、そうしたゆがんだ現実の中で生きている。そうしなくては、政治家という仕事を遂行できないからである。

こうした様々な矛盾とそこで生きる不自然なはぐれ者を描くことでこの映画は、果たしてなにが間違っているのかと観客に問いかけているのである。彼らがいけないのか、それとも法律のほうか、あるいは世の中の仕組み自体が腐っているのか

むろん、一言ではそれは片づけられない。結局のところ人間の世界は不完全で、だからこそこの映画のような悲劇が起こる。

何かがおかしいのに、悪い奴が見あたらない。そんな現実感=リアリティこそが、私たちを落胆させる。だが、それでもこの映画を見た後に絶望感はない。それどころか、ほのかな希望すら感じさせる。だから「アメリカン・ハッスル」はすばらしい。



連絡は前田有一(webmaster@maeda-y.com 映画批評家)まで
©2003 by Yuichi Maeda. All rights reserved.