「R100」60点(100点満点中)
監督:松本人志 出演:大森南朋 大地真央
やっかいすぎる最新作
松本人志監督最新作「R100」の興行成績が芳しくないと、あちこちで話題である。アクの強い映画を作って、うまいこと当たればなお良しと期待する部分も無いことはないだろうが、普通に考えればこれだけハチャメチャやり続けている松本映画に一般受けは期待できない。そんなことは業界人なら100も承知で、大コケ報道それ自体がパブリシティの一環ではとか、監督自身を追い込むMプレイじゃないかとか、いろいろと考えてしまう奇妙な事態である。
中年サラリーマン片山貴文(大森南朋)は、怪しげなSMクラブに入会する。それは、契約期間1年間の間は24時間いつ女王様がやってきてプレイ開始となるかわからないという、究極のプレイであった。さまざまなタイプの女王さまがやってきて過激プレイを繰り広げるサービスに、当初はM心を満足させられていた片山だが、やがて日常生活に支障が出るタイミングで彼女らが現れるようになってしまい……。
大森南朋演じるM男の前に現れる女王役は、大地真央、寺島しのぶ、片桐はいり、冨永愛、佐藤江梨子、渡辺直美と、様々なタイプがそろっている。露出やセクシーな場面はさほど期待できないが、その分、シュールな笑いに満ちた不条理ドラマである。
これまでの松本作品を見てきた人には説明するまでもないが、わかりやすい説明とか起承転結といった観客サービスとは正反対にある不親切なつくり。だから「つまらない」とか「ストーリーが破たんしている」などといった批判はすべて誤りである。最初の1作ならいざ知らず、この監督は一貫して、わざとそういうものを作っているのだから。ここは、「こんな映画は見たことがない」とか「発想がいかれている」「異様すぎる」といった点にこそ期待していくべきである。
そうした目的意識を持って行くと、なるほどそれなりに満足はできるだろう。こんな異様な映画の企画を通し、これだけのキャストをそろえて実現できる人材は、松本監督以外にはいまい。楽しいストーリーや見せ場がある映画など、ほかにいくらでもある。だがこんなおかしな映画は他では見られない。その意味ではオンリーワン、だ。
さて、その上で判断すると、それでも「R100」はやっかいな代物である。解釈の困難さ、意味不明さは松本映画史上最強。鑑賞後の飢餓感のようなものに、大勢が翻弄されることは間違いない。あるいは"松本人志"のSM観とかパーソナルなことに詳しい人が見ればそうでもないのかもしれないが、そうした大ファンの範疇から外れる私のようなものが見ると、少なくともそう感じる。
終盤で現実とファンタジーが衝突し混沌とするあたりは「大日本人」のテイストに近いから、あの作品のように「現実社会の何か」を暗喩したのだろうか。
MなオヤジがいじめぬかれてSに変貌する様子は、主人公を「日本」に例えれば近年のネトウヨレイシスト化を茶化しているようにも見える。おそらく松本監督はああいう連中を何より嫌うだろう。
さらに、国際社会の中で、はたから見ればMにしかみえないこの国の本質がじつはSである(あった)ことには、合点がいく人も多いだろう。
だからこそ、彼が最後に対決する究極のS女に、わざわざああいう人物をキャスティングしたのか。あのキャラクターは、ようするに日本を苛め抜いてきた国を象徴していると。
とすると、その後の二人の驚愕のオチ、あれはいったいなんだろう。片桐はいり演じる女王様の存在は、あのラストシーンが見た目の(常識的な)意味とは異なるという伏線かもしれない。あの結末が日本の未来を暗示する、ということならば、これは相当過激な言及である。
──と、そんな解釈をでっちあげながら楽しく見られたら、本作は心に残る一本になるだろう。
演出面で驚いたのは、大森南朋がM的快感を得たときに見せる、得も言われぬうれしげな表情。これはCGによって作られたものだが、日本を代表する演技派たる大森の演技力をある意味否定するという、これは大胆不敵な演出である。こんなことを迷いもなくやってのけるのも、松本監督の非凡なところであろう。
万人向けどころか10人向けにもなっていないが、こういう映画は稀有であり、出てくる土壌まで否定してはなるまい。松本監督には、素人の批判意見に惑わされることなく、間違っても対抗心など抱くことなく、してやったりと心で笑ったうえで、ゴーイングマイウェイで次回作に取り掛かってほしい。