「ルノワール 陽だまりの裸婦」70点(100点満点中)
監督:ジル・ブルドス 出演:ミシェル・ブーケ クリスタ・テレ

才能は引き継がれる

作品数が多く、穏やかなパステル調の色合いから、誰より日本人が好む画家といわれるルノワール。「ルノワール 陽だまりの裸婦」はその晩年を描いた伝記映画だが、彼のミューズというべき再重要な女性を、きわめて斬新な形で描いた佳作である。

巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワール(ミシェル・ブーケ)の、古木に囲まれた住居地レ・コレットにモデル志望の美少女デデ(クリスタ・テレ)がやってくる。持病のリウマチに悩まされていたルノワールだったが、彼女の才能を見込んだ彼は、さっそく雇い入れることにする。

ルノワール伝記をドラマとして描くとしたら、こうするほかないという構成である。すなわちそれは、 「才能という神からのギフトの継承」、というべき主題だ。

具体的にいうと、ここにでてくるルノワールの息子ジャンとは、後に世界的映画監督になるジャン・ルノワールのこと。父親の芳醇な色彩センス、仕事への情熱を目の当たりに育った彼は、この映画の中で描かれるように父親最後のミューズ、デデと出会うことでその才能を開かせた。

だがそれは才能が開花したというより父親の才能を、デデを介在として受け取った、バトンタッチされたといった印象である。

父のルノワール自身はあたかもその代償として重いリウマチに悩まされ、苦痛の元にやがて世を去る。そして、そのかけがえのない才能を継いだジャンも、晩年はどこか寂しい。しかしそのジャンの才能は、彼と深く関わったフランソワ・トリュフォーやロバート・アルドリッチといった世界的巨匠を経て、現代にいたるまで映画界に大きな影響を与えているわけだ。

ただ残念なことに、「ルノワール 陽だまりの裸婦」を見てもそこまでは伝わりにくい。ただ、それでもルノワールにまつわるあれこれに興味がわくようにはなっている。過去の偉人の魅力を広く伝えるのが伝記映画の目的だとすれば、優れた部類に入るといってよいだろう。

ところで感受性の豊かな人、とくに女性は、ヒロインであるはずのデデの運命にどうも納得がいかない方もいるかもしれない。彼女は二人の芸術家に愛されながらも、その役割は二人の間の才能の受け渡し以外の何者でもないからだ。

彼女をオールヌードで演じるクリスタ・テレは豊かなナチュラル胸にくびれた腰のライン、そしてプリケツと文句なしのプロポーションだが、これほど美しい女でもその役割はそんなものかと考えると切ないものがある。

さて、映画を見た後にぜひ考えてほしいのが、そんな栄えあるルノワールの才能の系譜、その起点はいったい誰だったのかということ。

まず、ルノワールが晩年に出会ったデデであるはずはない。むしろ、才能の介在者たるデデを彼に出会わせた人間こそが、ルノワールの才能を今に残すという、最も重要な偉業を達成した真のミューズという見方ができる。

その人物は、もっとも重要な人物だというのになんとこの映画にはでてこない。じつに大胆な構成である。描かないことで、真のミューズが誰かを描いてみせるのだから。



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