「エリジウム」65点(100点満点中)
Elysium 2013年9月20日(金)より、新宿ピカデリーほか全国ロードショー! 2013年アメリカ映画/スコープサイズ/1時間49分/字幕翻訳:松浦美奈 配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
脚本/監督:ニール・ブロムカンプ 製作:ビル・ブロック、ニール・ブロムカンプ、サイモン・キンバーグ 視覚効果スーパーバイザー:ピーター・ミュイザーズ 音楽:ライアン・エイモン キャスト:マット・デイモン アリシー・ブラガ ジョディ・フォスター ファラン・タヒール ウィリアム・フィクトナー シャルト・コプリー

格差社会を描くSF

SF作品というのは設定の奇抜さやおもしろさ、それらが必然的に語るメッセージ性がしっかりしていれば、リアリティについてはさほど問われない。

「エリジウム」は「第9地区」(09年、米ほか)でそれらを高いレベルでクリヤーしたニール・ブロムカンプ監督による新作。当然ながら強い期待をもって見られると思うが、結論としてはもう一歩といったところ。

2154年の地球は、人口増加による環境破壊で荒廃していた。富裕層はそんな地上からスペースコロニー「エリジウム」へと脱出。一家に一台、あらゆる病気を治す医療ポッドと共に、尽きぬ寿命を悠々自適に暮らしている。そんな中、地上の工場で劣悪な労働環境の元働いているマックス(マット・デイモン)は、職場の放射能事故によって余命5日を宣告される。絶望した彼は一か八かエリジウムの医療ポッドをめざすため、イリーガルな組織に近づくのだった。

マット・デイモンのスター性、十分な制作費によるビジュアル面での迫力、そして当然ながら監督の的確な演出力によって、本作はAクラスの大作となっている。

だがテーマである格差社会については、SFらしく象徴的に描くことには成功しているがその後の問題提起がおざなりで物足りない。登場する小さな少女が突然カバとミーアキャットの思わせぶりな逸話を語りだしたりするが、これも唐突にすぎる。おまえはベテランの哲学者か何かかよと、思わず突っ込みを入れたくなる。

こうなると、(もともと無理があるが)この作品世界におけるテクノロジーのバランスの悪さにばかり目がいってしまう。

たとえばエリジウムの人口は最大20万人強だそうだが、そんな少数では2013年現在の富裕層ですら2パーセント程度しか収容しきれない。そのせいか防衛に関するリソースもろくに割かれておらず、出来の悪いロボコップ頼みでほとんど丸裸、ノーガード戦法でぷかぷか浮かんでいるだけだ。映画を見る限り、安全保障を担える人間は事実上、地上在住の潜入エージェントこと乱暴者が一人きり。その存在基盤たるや脆弱にもほどがある。

そのくせ、地上との格差はとてつもないもので、これではあっという間に攻め落とされてその富を略奪されるのがオチだろう。これまでそうならずに存在できていた点が、どうにも合点が行かない。圧倒的な武力と情報統制なしに、どうやって地上を支配する力を維持できるというのか。

軍隊からテロリスト、民兵等々、世界中に山ほど存在しているはずの軍事力はどこへ雲隠れしているのか。そこいらへんの説明がこの映画、下手である。

ともあれ、そうした細部には目をつぶりこの話を単純化すると、要するに究極の格差の象徴たるベホマベッドの奪い合い、ということになる。

この、作品世界をぶちこわすほどのチートなアイテムを登場させた理由は、監督がこの映画の中で医療格差問題を語りたかった、あるいは格差がうみだす最悪の問題としてそれをいいたかったという事にほかならない。

金持ちは病気になってもすぐになおしてもらえる。貧乏人は痛み止めをあたえられ路上にポイ。これはマイケル・ムーアの「シッコ」でも描かれた、現代アメリカの一面そのものといえる。高福祉高負担の北欧諸国と、低福祉低負担のアメリカ。両方の悪い部分だけを採用した我が日本国の未来もこれに近いものになるはずで、そういう意味では他人事としては見られない。

さて、ではそうならないためにどうすればいいのか。「エリジウム」が提示する回答は残念ながら決して十分なものとはいえないが、考えるきっかけは与えてくれる。

そんなわけでニール・ブロムカンプ監督の社会批判や風刺精神は、今回はさほど色濃く反映されてはいない。そこがハリウッド的な調整ということなのかは知らないが、奇抜な未来世界を気軽に楽しむくらいの気持ちで見に行っていただけたなら、逆に満足できるかと思う。



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