「夏の終り」35点(100点満点中)
2013年8月31日(土)有楽町スバル座 ほか全国ロードショー 2013年/日本/カラー/114分/配給:クロックワークス
監督;熊切和嘉 原作:「夏の終り」瀬戸内寂聴(新潮文庫刊) 脚本;宇治田隆史 撮影;近藤龍人キャスト:満島ひかり 綾野剛 小林薫
自伝的文学ながらリアリティ薄い
プライベートでの経験豊富なオンナほど、いい女優になるなどと言われるが現実はそう簡単でもない。結局のところは手綱を引く演出家次第。現実には子供のいない満島ひかりがシングルマザーを演じて高評価を得ることもあるし、その逆もまたしかり、だ。
妻子ある作家(小林薫)の愛人として長年暮らしている知子(満島ひかり)。作家は自宅と彼女の家を半々で行き来している。だが、そんな智子の前にかつて愛した涼太(綾野剛)が現れ、彼女の穏やかな生活は終わりを告げる。
愛人契約というのは、お互いの冷静な取り決めにより行われるものであり、はたから見ると極めて安定した大人の関係であるように見える。だが、じっさいは全く違う。そんな相手がいなければ維持できない人生などというものは、もともと何かが破綻しているのであり、大人びた皮を一枚はげば、その下にはメンヘラ一歩手前の男女の生々しい姿があるわけである。
「夏の終り」の問題点は、物語上最も重要な、その仮面の表裏のギャップを描けていないことにある。
長年の愛人と元カレの間で、きっちり五割ずつ時間を割くヒロイン。同じく、妻とヒロインである愛人のもとを交互に行き交う男。この2人が、前半と後半でもっと落差のある、意外性のある演技を見せていれば、この映画は印象深いものになっただろう。
しかし実際は、2人の間に情愛の描写が足りないものだから、愛人というよりはお茶飲み友達にしか見えない。生活感も全くなく、生活防衛の辛さや焦りが伝わってこない。そもそも愛人などという職業は、ある意味ブラック企業に勤めるより不安定。なにしろスポンサーを失った翌日から路頭に迷ってもおかしくない。
そこには、現状の関係を維持するための切実なる努力であるとか、生々しい感情のやりとりといったものが多かれ少なかれあるはずだろう。しかしこの映画の満島からは、そういったものを感じとれない。
どこか美しい文学的な絵を撮る事ばかりに気を取られ、肝心の人間ドラマのドロドロが描けていないように見える。すべてが綺麗すぎ優等生すぎる。これが芸術と言われても観客は困る。
満島はプレーヤーとしては一流の域に達しているが、出れば映画が傑作となるわけではない。むしろ、使いこなすのも簡単ではないということだ。