「さよなら渓谷」70点(100点満点中)
2013年6月22日より友楽町スバル座、新宿武蔵野館ほかにてロードショー 2013年/日本/カラー/117分/配給:ファントム・フィルム
監督:大森立嗣 原作:吉田修一 脚本:高田亮、大森立嗣 キャスト 真木よう子 大西信満 鈴木杏

真木は熱演だが同時にボトルネック

異形なる男女の愛の姿を描いたドラマである本作において、ヒロインを演じた真木よう子は、演技派の面目躍如の見事なパフォーマンスを見せたものの、それでもわずかに届かぬその限界がつくづく惜しいと思わせる。

幼児殺害事件の容疑者として、被害児童の母親が逮捕された。その隣人として公営住宅に暮らす尾崎俊介(大西信満)は、同居中のかなこ(真木よう子)の告発によって共犯者と疑われ拘束されてしまう。だが、事件を調べ始めた週刊誌記者(大森南朋)には、愛し合う二人がなぜそんな事をするのかわからなかった。

すべての真相が明らかになるとき、私たちは「ここまでして相手を愛する形もあるのか」と驚く。観客の想像力を上回る愛の形を提示した点は、高く評価できる。

あとは演技者たちがそれをどこまで説得力を持って表現できるかだが、これもおおむね合格点。最も重要な、行動原理が読めないヒロイン役の真木よう子もまたしかり、だ。

この人物の性質をもっとも端的に表しているのが、強風の中、差し出された上着を激しく拒否するあぜ道のシーン。よほど寒かったのか、演技巧者の真木でさえ舌が回っていないのには驚くが、それはともかくその直後の駅ホームのショットにおいて、このキャラクターがどういう本質をもった女性なのかが明らかになる。

だが、こうした女性を演じるには真木の女優としての印象は少々強すぎる。ようするに、10年間もあの事件を引きずるようなタイプにはとても見えないのが、なんとも大きなハンディとなっている。

それを克服するには、平たく言うと濡れ場にもう一工夫が必要であった。具体的にいうと、この映画のそれは、真木をきれいに撮りすぎである。

このヒロインは、かつては美しかったが人生の荒波にさらされてその美貌の多くを失い、だがそれでも最後の輝きを保っている女だ。ズタボロになってもそれでも残る最後の妖艶さ、そこを女優も、監督も表現しなくてはならない。

だからこの映画のように、きれいに見える角度からばかり真木を撮ってはいけなかったというわけだ。

横から見える真木の豊満なバストは、肉量が多すぎて乳首などは相手役の体に埋もれ隠されているほど。だがそれは女体の美しさを強調する構図であって、ヒロインの人生を表現するショットではない。

ここはむしろ、もっとも美しかった年齢が残酷にも過ぎ去り、すでに崩れかけた生々しい身体をあえてさらすべき。それによって「女の旬」をはからずも失ったヒロインの悲哀と、それでも生きる生命力を表現できる。

実は、本作の中でこれをやっているのが大森南朋で、堂々とたるみきった中年の裸をさらしている。この場面はものすごい迫力を感じさせる演出で、これによって観客は目の前の週刊誌記者の、スポーツ選手としての挫折、それによる苦労続きの人生を一瞬にして頭にたたき込まれるのである。真木のお手本は、まさにここにいた。

彼女が堂々と正面から、垂れた胸と色素が濃くなったバストトップ、崩れかけたウェストラインをさらしていれば、この映画は大変な傑作となり、女優・真木よう子は伝説となれただろう。

巨乳がちやほやされるのは25歳まで。その後は貧乳のターンというのが学会における一般的な定説である。真木の30年物のGカップバストも、おそらくこの役柄に説得力を持たせられるだけの形状変化を遂げていたであろうに、つくづく残念だ。

だがあきらめるのはまだ早い。彼女にはこれからもチャンスがある。今はとりあえず、そこに期待しておきたい。

なお、この稿は個人的鑑賞欲求とは一切無関係であることを、ここに強く記しておく。



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