「エンド・オブ・ホワイトハウス」85点(100点満点中)
Olympus Has Fallen 2013年6月8日(土) 新宿ピカデリー 他 全国ロードショー!! 2013年/アメリカ/120分/配給:アスミック・エース
監督:アントワン・フークア 製作:ジェラルド・バトラー 脚本;アントワン・フークア 撮影;コンラッド・W・ホール 音楽;トレバー・モリス キャスト:ジェラルド・バトラー モーガン・フリーマン アーロン・エッカート アンジェラ・バセット ロバート・フォースター

プロパガンダ度100

アメリカウォッチャーにとって絶対に見逃せない映画というものがあるのだが、その条件の一つが「同時期にそっくりな映画が公開される」そのペア。

「エンド・オブ・ホワイトハウス」はホワイトハウスがテロリストの攻撃を受け陥落するストーリーだが、これは日本でも8月公開になる「ホワイトハウス・ダウン」と全く同じである。

そういう映画は天下のハリウッド2社の重役がそろって「こいつは面白い、今作るべきだ」と判断した企画であるから、きわめてタイムリーであったり、えらい人たちが広く人々に広めたい内容であることが多い。事実この公開と前後してボストンマラソンでテロ事件が起きた。「アメリカ本土が攻撃される」というのは、いまや絵空事とは笑っていられないリアリティをもって、映画化されるに足る題材なのである。

独立記念日の翌朝、アジア系のテロリストグループによってホワイトハウスが襲撃された。大統領が人質に取られ、地下核シェルターに立てこもる絶体絶命の危機。米軍さえ手が出せぬ状況下、ハウス内には大統領の幼い息子と元シークレットサービスのマイク・バニング(ジェラルド・バトラー)が、まだ敵の手に落ちずに潜んでいた。

大統領の息子の存在は敵にとっての、マイクの存在は政府側にとっての切り札。マイクはかつての職場であるハウス内を縦横無尽に駆け回り、ダイ・ハードばりの大活躍を見せるが、はたして難攻不落の要塞と化したホワイトハウスで単身いつまで戦えるのか。そして、犯人たちの法外な要求に対して米軍や政府のとる手は? というポリティカルアクション。

このジャンルの正統派としても、あるいは突っ込みどころ満載のギャグ目線でも抜群に面白い、今年有数のオススメ作品である。

アクション映画としての見どころは、まずはガンシップによる想定外の本土攻撃だ。無敵のF-22戦闘機との戦いも盛り上がるし、チャフ散布ショットの絵的な美しさは息をのむほど。見慣れた米国首都の風景を前にこんなとんでもない大バトルを繰り広げるのだから、ハリウッドの想像力たるやすごい。

ただそれ以上にこのサイトの読者諸氏にオススメしたいのは、数えきれないほどちりばめられたツッコミどころの面白さである。

先ほどのガンシップにしても、そんなもんどこから調達したんだよと言いたくなるし、時折挿入される破れた星条旗のアップのわざとらしさなど、プロパガンダ丸出しでなかなかいける。拷問に弱すぎな政府高官のヘタレぶりもまた笑いどころである。

中でもイカしてるのが、犯人が第七艦隊の撤退を要求し、それを受けた中印露が非常事態宣言を発したというのになんの反応も、それどころか描写すらされてないわがニッポンである。

第七艦隊の旗艦ブルーリッジの母港は横須賀だというのに完全無視とはなんたる恩知らず。ここまであからさまに我々は無視される程度の同盟国なのか。日本を巻き込むテロ事件が起きていても、どうせお前らはAKBの総選挙のほうに盛り上がるんだろというこれは製作者の皮肉なのか。

しかし、そんな日本以上に本作でコケにされているのが韓国である。犯人の目的が半島統一だとわかってもアメリカ政府高官の反応は「これで我々は韓国を失った……」とうなだれるだけ。韓国はお前らの駒か。

しかも、その朝鮮人テロリストときたら日本海のことを「Sea of Japan」と呼んでいる。韓国でこのシーンを上映したら、間違いなく大勢が発狂して映画館の二つか三つ燃やされるレベルのこれは侮辱である。個人的にはこのセリフがこの映画の中で一番笑えた。

本作が主張するプロパガンダテーマはいうまでもなく「米軍のおかげでニラミが効いている」との集団安全保障的論調である。米軍がいなくなったら中国は尖閣を攻めてくる、オスプレイ配備しなきゃ〜と大騒ぎしている人々にとってはそれ見たことかと思わず手を打つ爽快な一本であろう。

しかし、こういうあからさまな主張はいまどき流行らないし、もう効果も少ない。これを見てもそんな風に素直に共感するのはネットde真実を信奉する子供たちだけだろう。

世界はそう単純ではない。圧倒的パワーを持つアメリカは、むしろいまどきは悪役向きのキャラなのであり、無理して正義の味方にすればどうしたって不自然さが残る。

それを消すため、この映画の中でも様々な工夫が行われている。たとえば大統領の子供を出してきて泣かせてみたり、ガンシップがわざわざハウス周辺の民間人を大虐殺してみたり、といったシーンがそれにあたる。

そんな時間と弾の浪費をするより一直線にハウスを襲撃したほうがいいのに、なぜそんな場面を挿入したかといえば、世界の多くの観客にとって、この二つの要素がなければテロリストのほうがヒーローに見えてしまうからに他ならない。その痛々しさが、失笑を誘うのである。

逆に言えば、この点とラストを編集してしまえば、本作はそのまんまイスラムや反米国家向きバージョンを作ることができる。それはきっと、さぞ爽快なアクション映画になるだろうなと、これまた皮肉の一つもかまして本稿の締めとしたい。



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