「トータル・リコール」60点(100点満点中)
Total Recall 2012年8月10日(金)丸の内ピカデリー他全国ロードショー 2012年/アメリカ/カラー/118分/配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
監督:レン・ワイズマン 脚本:マーク・ボンバック、カート・ウィマー、ジェームス・ヴァンダービルト キャスト:コリン・ファレル ケイト・ベッキンセイル イーサン・ホーク ジェシカ・ビール ビル・ナイ

現代的に生まれ変わった

この原作と類似点を指摘されている寺沢武一の「コブラ」、映画「TIME/タイム」(11年)、そしてこの「トータル・リコール」と、最近映画化されるSF作品には、ある種の共通項があるように思う。特にこのリメイク版を前作と比較すると、よりそれらの作品と近いテーマに変更されていることがわかる。そこにこの映画を読みとく鍵があるといえるかもしれない。

近未来の地球は荒廃しており、人が住めるのはブリテン連邦とその裏側のコロニーの2か所のみ。両者をつなぐ直通エレベーターのごとき「フォール」を使い、労働者たちは日々地球内部を移動しては戻ってくる日々だ。その一人である工場労働者ダグラス(コリン・ファレル)は、そんな日々のストレスから逃れるため心躍る旅行の記憶を売るリコール社に出向くが、望むストーリーの記憶を買おうとしたまさにそのとき、連邦警察の襲撃を受ける。

さて、まず目を引くのはこの突飛な世界観。富裕層がくらすイギリス周辺地域と、奴隷のような労働者たちが暮らすオーストラリア大陸。この二つをつなぐ地球規模の縦断エレベーター。突拍子もない大がかりなシステムだが、地球を金持ち地区と貧乏人地区に物理的に分けるこの設定によって、映画が語りたいことをこれ以上なく明確に示している。

もちろんそれは究極の格差社会。物理的に断絶している理由は、二つの階級を行き来することが不可能な程、格差が固定化されていることを示している。

ましてそれがイギリスとオーストラリア。英国が豪州を流罪植民地として、先住民の土地を奪い虐殺した歴史を考えれば、この映画の後半の展開は余りにもあからさまである。

そもそも地球儀をみればわかるとおりオーストラリアの裏側はイギリスではなく、似たような元「植民地」国家のアメリカ・ニューヨークあたりだが、その二つをつないでもこの物語は成立しない。それはストーリー的にもテーマ的にも、この話はイギリスとオーストラリアのペアである必然性があるということを意味する。

そんなわけでこのリメイク版は、主人公の存在自体があやふやでアイデンティティーを問われる哲学的な原作とも少々異なり、社会派の色が濃くなっている。ウォール街にデモが巻き起こる時代ならではの「トータル・リコール」だ。最初に書いた通りこうしたテーマのSF映画企画にゴーサインがでやすい時代背景というのは興味深いところ。

いまどきの労働者は、金を払ってでも幸せな夢を見ていたい。まさに一億総ジャンキー予備軍。これ以上に皮肉な設定はない。そして一番笑えるのがこの時代のお札の絵柄である。彼が偉人扱いとは、ここでも映画の言いたいことがはっきりと示されている。

現実と虚構の錯綜というテーマから離れたのは、前作オチの解釈がウィキペディアにまで出ている現状で、そんなところにサスペンスを求めても仕方がないとの判断だろうが、これは妥当である。本作品の落ちに、そうしたひねりを期待してはいけない。

ポール・ヴァーホーヴェン監督版のようなあくの強さは影を潜め、解釈が分かれるようなあやふやさもなく、全体的にあっさりすっきりとしている。とはいえ前作鑑賞者ならば、いくつか余分に楽しめたり、軽くだまされたりといった仕掛けもある。

ケイト・ベッキンセイル演じる、いつの時代でもおそろしい奥様の戦闘能力が強化されたことで、アクション映画としての純度が上がっているのも特徴だ。

とはいえそれらは特筆するほどのものはなく、未来世界のビジュアルも含めて既視感のあるものばかり。

上下左右に張り巡らされたエレベーターシャフトでの追跡劇はユニークだが、アクション以前にあんなものがあったら保守員が死ぬ。

それにしても、甘い記憶を買うことだけが気晴らしというのは、ある意味、麻薬に逃げる現代人の最下層と同じ。じつに恐ろしい時代設定だ。もっとも個人的には、美人で細身でEカップの女のコとねんごろになれる記憶になら喜んでお金を払いたい。



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