「クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち」60点(100点満点中)
Crazy Horse 2012年6月30日(土)より、Bunkamuraル・シネマほか順次公開! 2011/フランス・アメリカ/35mm/カラー/ビスタサイズ/SRD/134分/配給:ショウゲート
監督:フレデリック・ワイズマン キャスト:フィリップ・ドゥクフレ クレイジーホースのダンサーたち

パリの老舗クラブへ疑似潜入

キャバレーとはフランス語で、本来はショーのあるレストラン等のことだ。パリにある「クレイジーホース」はその老舗で、そこで提供されるヌードショーは、私が行うおっぱい批評に匹敵するほど芸術性の高いエンターテイメントとして知られている。

「クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち」は、そんな老舗のショーに密着したドキュメンタリー。これを見れば、フランスのキャバレー文化というものを存分に疑似体験しつつ理解できる。

監督はフレデリック・ワイズマン、世界有数のドキュメンタリーの巨匠だ。ナレーションなど言葉で説明しようとはせず、対象に寄り添うような撮影とリズム感ある編集が特徴で、本作でもそれは踏襲される。キャバレービジネスを真面目にお勉強しようという人には向かないかもしれないが、お店のど真ん中に入り込む錯覚というか、そういう楽しみを味わいたい人にはぴったりだ。

ヌードショーのドキュメンタリーだから、最初っから女性たちの裸が出まくり。体つきがそっくりな二人がおしり合わせで立ってハートマークを浮かび上がらせるなど、どこか幻想的で現実にあるものとは思えない、そんな映像が多々見られる。

真っ白な肌に、鮮やかなライトがドット模様を投射する独特の演出はユニークで、エロさ以上に芸術性を感じられる。これが単なるストリップとは明らかに異なることは、すぐにわかるだろう。

踊り子たちは美しいが、決して完璧なボディラインを持つ子ばかりではない。とくに胸はみな小さめで、むしろお尻の形に重きを置いてスカウトしているのは明らか。この件については、以下の論理的理由によって私も全面的に賛成である。

そもそも胸は生まれつきの大きさ、形を楽しむ部位だが、主に大殿筋という随意筋によって構成されるお尻は後天的な努力によってその美しさが決まる。だから物事を深く理解する上級者はことごとく尻派なのである。だからクレイジーホースの判断基準は、じつに公平なものといえるのである。これを読んでいる女性たちも、おっぱい星人を自称する浅はかな男に騙されることなく、尻派から適切な伴侶選択を行ってほしい。人生の役にも立つ超映画批評である。

個人的に見ごたえがあったのは、ある踊り子がTバックをえらい時間をかけて脱ぐ場面。くるくる回転しつつ脱ぐわけだが、何か見えたような見えてなかったような、一流の手品をみせられた時のような錯覚感さえ味わえる。見えてないのに見ごたえがあったというのもよくわからない話だが、性別にかかわらず、この場面には注目してほしい。

これぞ性的なショーではなく、ヌード芸術の最たるもの。なにしろパンツを脱ぐだけでも拍手したくなるほどの技術である。疑うなら鏡の前で今すぐ脱いでみるといい。どんな美人でも、案外その動きは間抜けである。

客を興奮させねばならない、そんな枠の中からはみ出すことが難しい一般のストリップショーとは異なる、こうした表現の場を持つクレイジーホースのダンサーたちは幸せだ。

さて、映画の中でちょっとした波乱を感じさせるのが、振付師がクラブを長期休業し、その間に世間を驚かせるような斬新な新プログラムを作りたいと経営陣に提案するところ。これを聞いた美熟女の支配人は、株主がノンというわ、とやんわり拒否るが振付師はひかない。はたしてこのクラブの運営方針はどちらに向かうのか。ちなみにこの女性支配人は、シルク・ドゥ・ソレイユの運営出身というつわものだ。

なおこの映画では描かれないが、先日こちらの従業員がストを起こしたとの報道が流れた。そんなニュースもこの場面を見た後だと、生々しく実感できる。

もっとも、くわしい解説やインタビューがあるわけでもないし、よほどこのショーに興味がある人でないと、途中で飽きてしまう可能性はある。本物を見に行く機会がまずないひとにとっては、鑑賞するためのモチベーションに乏しいのも確かだ。やはりショーとは、ナマで見てなんぼのものである。



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