「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」55点(100点満点中)
2012年6月2日 テアトル新宿他 全国ロードショー決定 2011年/日本/カラー/120分/配給:若松プロダクション
監督:若松孝二 脚本:掛川正幸、若松孝二 企画協力:鈴木邦男 キャスト:井浦新(ARATA) 満島真之介 岩間天嗣 永岡佑

三島ファンも納得の出来

「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」(2007)で新左翼運動を描いた若松孝二監督は、次は「右」も撮らなくてはとの思いから今回、三島由紀夫の割腹自殺事件を新作の題材に決めた。「自分は決して左翼ではない」と、世間の認識を否定する若松監督だが、少なくともこの映画における事件認識からは、私が見た限り極端に偏ったものは感じられない。

文豪、三島由紀夫(井浦新)はいまやノーベル文学賞候補になるほど世界的な人気を博していたが、当の本人は文学への情熱を失いつつあった。代わりに彼の頭の中を占めていたのは憂国の思いであり、やがて三島は私財をつぎ込んで民兵組織「楯の会」を結成する。日本学生同盟の持丸博(渋川清彦)、森田必勝(まさかつ)(満島真之介)ら熱心な若者たちによって運営された「楯の会」だが、自衛隊の体験キャンプを繰り返すうち、やがて法でがんじがらめにされたその実情に失望を感じ始める。と同時に、おさまらない森田らの情熱は、三島を決起の方向へと煽りはじめるのだった。

何にも知らない方にざっくり説明すると、当時三島由紀夫は今のままでは日本はダメになると判断し、とくに手足を縛られた自衛隊の現状に強い危機感を持っていた。そこで文字通り命を懸けて彼ら(と国民)の目を覚ますため、市ヶ谷の駐屯地で演説した後、壮絶な割腹自殺を遂げた。この作品は、その事件を三島を中心とした純粋なる愛国者たちのドラマとして映画化したものだ。

若松監督が三島事件をどう考えているのかは知らないが、自分の思想や解釈を押し付けようという雰囲気は全く見られない。だが、いまの若者にこうした歴史があった事を伝えたいとのコンセプトで作られた映画の割には、かなり舌足らずでもある。むしろ相当予習しておかないと、いまどきのゆとり教育経験者にとっては意味不明なシーンばかりであろう。

たとえば三島邸に「楯の会」学生長の持丸博が結婚報告にやってくる場面がある。ここで唐突に出てくる婚約者の芳子さんとは現在杉並区議の松浦芳子氏のことだがそれはともかく、この場面で大事なのは持丸と三島が決別することになったその意味である。一般的に、理論派で知られる持丸が盾の会から去り、純粋情熱派とでもいうべき森田必勝が後任となったことで、三島の死の美学への傾倒、言い換えれば破滅への衝動を止める者が会からいなくなったとされている。

だが本作では、森田と三島にばかり焦点をあてていて、最重要人物たる持丸をほとんど描いていないので、ここで彼が去る事がどれほどの痛恨事なのか、その重要さが伝わってこない。

このエピソードを含めて、三島事件において大事なポイントは抑えているものの、すべてが同列でメリハリなく並べてあるため、素人にはどれが重要でどれが単なる日常描写なのかの区別がつかない。その意味で本作は、各出来事の重要性を自分で判断できる、三島ファン上級者向けとなってしまっている。だがそうしたファンにとっては、「最低限ちゃんとアレを描いているね」と、そこそこの満足を与えてくれるだろう。

あと一つ、本作が「若松的」だと感じさせるのは、いきなり冒頭に浅沼稲次郎刺殺事件を持ってくるところである。これも恐らくいまどきの若者にはさっぱり意味不明であろうから少々解説すると、これは日本社会党の委員長だった浅沼を、演説中に17歳の右翼少年が刺し殺した1960年の出来事である。

朝鮮人をゴキブリだのと罵るみっともない姿を自分でYoutubeにアップしてご満悦な最近の右翼少年とはえらく対照的な行動力だが、この映画ではこの事件に加え、東大安田講堂事件(新左翼の学生が東大を占拠した事件)、よど号ハイジャック事件、さらには金嬉老事件(在日韓国人の男が猟銃と爆弾を持ち籠城し、警察をほんろうした日本初の劇場型犯罪)に三島が共感する刺激的な描写も登場する。

思想的には全く異なるよど号事件の犯人に三島が感心するとは意外な感じもするが、要するに力なき少数の者が巨大な権力相手に一矢報いる姿を、彼はいつか自分が行う際の参考にして見ていたというわけだ。先を越された焦りを感じながら……。

ちなみに企画協力の鈴木邦男によれば、北朝鮮に潜伏中のよど号ハイジャック事件の犯人は、この映画をえらく気に入ったそうである。間違いなくこのシーンがお気に召したに違いない。

ともあれ、そんな三島の心の隙(?)を最終的に後押しした形になったのが森田必勝であると、それが若松監督の解釈なのだろうと私は感じた。持丸の離脱、森田の台頭、三島の文学的成功と憂国の思い、そのすべてが重なり割腹事件が起きた。そんな偶然の連鎖こそが運命。三島が憂えた日本は、しかしいまだ破滅せず、むしろノーテンキにさえ見える国民によって存続している。それを知る現代の私たちは、この映画における激しい切腹シーンから、ただただ切なさ(むなしさ)を感じるのみだ。

ところで、三島を先頭に国を憂えて決起する盾の会メンバーの姿からは、いまどきの右がかった若者たちを連想する人も多いかもしれない。

だが現代っ子国士様の方は、竹島を不当占拠する韓国や放射能黄砂をまき散らす中国は批判するが、皇居と皇族を被曝させた上に物理的に国土を永久破壊した内幸町の会社は不問に付す自己矛盾の塊だ。

彼らは上空をヘリが飛ぶたび、また何かあったのかと恐怖を感じながら畑を耕している福島の罪なき農民の涙の訴えに心を動かされる事もない。そんなことより韓流ドラマを流すテレビ局の方が許せないんだそうだ。

そんな者たちが愛国者を名乗るのだから、ひどいブラックジョークである。その実態は単なる韓国嫌い、左翼嫌いの甘えん坊なのであり、それがせっかくの正義感をとんちんかんな方向に向けてしまう。この映画に出てくる若者たちと比べると、知性と感受性が絶望的なまでに欠如しているのがわかるだろう。

彼らは「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」でも見て、70超えてなお反骨精神を失わぬ若松孝二監督の爪の垢でも見つけに行ってみてはどうか。



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