『ライアーゲーム -再生-』90点(100点満点中)
2012年3月3日全国順次ロードショー 2012年/日本/131分/カラー/配給:東宝
監督:松山博昭、脚本:岡田道尚 黒岩勉 出演:松田翔太 多部未華子 芦田愛菜 江角マキコ

芦田愛菜の存在意義だけが不明だが

この2作目の脚本も前作同様、プロット自体をハリウッドに売ることもできそうなほどに完成度が高い。登場人物を入れ替えればライアーゲームのタイトルを外しても通用する点も前作譲り。それどころか緻密に計算された脚本のうまみは、前作を上回る部分さえある。具体的には椅子取りゲームという、原作ファンにはおなじみのネタを採用していながらも、あえて2012年に公開するべき理由付けがなされている点。さらに普遍的でありながら、じつに日本的な結末を用意している点も心憎い。

ファイナルステージから2年、秋山(松田翔太)は大学で心理学を教えていた。そこに教え子の篠宮(多部未華子)から、札束とともに不気味なゲームの招待状が来た件で相談を受ける。終わったはずのライアーゲーム、いったい誰が再開したのか。秋山は再び弱き者を守るため、ゲームに参加する羽目になるのだった。

今回採用されるゲームは椅子取りゲーム。多少複雑な決め事はあるが、たかが椅子取りゲームで、よくぞここまで高度な騙しあいと戦略を考えたものだと、脚本家及び原作者の脳みそにはただただ感服する。

このゲームの本質を、「一つの椅子を争うゲーム」ではなく、団体戦=国取りゲームだと見抜いた主人公秋山も相変わらずの切れ者だし、同等の洞察力を持つ2名の参加者もまた強敵である。そんなわけでこの2作目は、秋山チーム、宗教団体の教祖(船越英一郎)チーム、そして眼光鋭いアウトローな男(新井浩文)が率いるチームの、三つどもえの国取り合戦の様相を呈してくる。

その、観客どころか仲間たちさえ騙す化かしあいはこのうえなく見応えのあるもので、前作に勝るとも劣らない知的な見せ場の連続。徹底的に試行錯誤を繰り返したであろう脚本家たちには重ねて敬意を表する。

だがこの映画が優れているのは、単にゲームが面白いからではない。このゲームがユニークなのは、この三つの勢力が、それぞれ(日本的な)社会主義、独裁主義、そして新自由主義のたとえとなっている点だ。その3つが、ゼロサムゲームを戦うところが実に現代的なのである。

そう、この椅子取りゲームはゼロサムゲーム。これは大事なポイントである。20人で20億円を持ち寄り、勝者1名が総取り。胴元へのショバ代すらない。プレイヤー各自に無理やり貸し付けられる1億円の金利は明らかではないが、それにしても妙に良心的な設定となっている。開催経費だってバカにならないだろうに、胴元にとってまるでメリットのないおかしなゲームだと誰もが思うだろう。

だが、これが本作の隠しテーマを描くために必要な設定だったとみれば合点がいく。ようするにこの映画の作り手は、ライアーゲームの形でこの不況時代の本質を描いてみたかったのではないか。

椅子の数が決して増えないこの椅子取りゲームの構造は、無成長時代の経済競争そのもの。そこを勝ち残るのは、3つの主義思想のうちどれなのか。そういうお話だとするならば、この奇妙な設定にも合理的理由が生まれる。これがもし、参加者が胴元に法外な参加料を払うシステムだったり、もしくは全体のパイ(椅子の数)が成長する設定であったなら、この肝心の主題が薄れる。

そしてなによりこの映画の結末は、このゲームがゼロサムゲームであるからこそ成立するのである。

いまの時代に勝利を収めるのは、独裁主義か、それとも愛国者による新自由主義か、あるいは社会主義なのか。その結論こそがじつにユニークなのである。

いまや余りに格差が広がり、疲れ切った下層労働者からは、ベーシックインカムのような仕組みを作ってはどうかという声さえ真剣に出てきている。この映画のゲーム中にもまったく同じ発想をする人物が出てくる。だが、敗北の恐怖におびえてそれを訴えるその人物がどのような運命をたどるか。なんとも含蓄に富んでいるので注目してほしい。

前作譲りのパズラーとしての面白さに加え、この底なしの世界的不況からの脱出について、一つの主張まで打ち出した「ライアーゲーム -再生-」を、私は最上級に評価する。一級品のエンターテイメントの中で、さりげなく社会問題を語るというのは、これまで邦画にはできなかった離れ業である。もっとも、作り手はそんなことは露ほども考えておらず、たまたまそう解釈できただけかもしれないが、それにしてもそのような懐の深さをこの脚本が兼ね備えてることが素晴らしいのである。



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