『聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-』85点(100点満点中)
2011年12月23日(金・祝)全国ロードショー 2011年/日本/カラー/140分/配給:東映
監督:成島 出 脚本:長谷川 康夫/飯田健三郎 監修:半藤一利 特別協力:山本義正 出演:役所広司 玉木宏 瀬戸朝香 田中麗奈 益岡徹 袴田吉彦

≪震災後の日本とリンクする≫

太平洋戦争を描いた映画は常に論議を巻き起こしてきた。民族・思想的立場により解釈が分かれる問題ゆえ、このテーマはどうしても批判の対象になりやすい。自国を一方的に被害者とする偏った考証の娯楽大作「パール・ハーバー」(01年、米)はその典型例。昔は同じ真珠湾攻撃を描いた作品でも、きわめて中立的な視点による「トラ・トラ・トラ!」(70年、米)という傑作もあったのだが、時が過ぎ戦争経験者が減るにつれ、感情的な戦争映画が増えてきた。

そんな流れの中で「聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-」(134分、日本)を見ると、時代が一巡して再び冷静な映画作りができるようになったのかと希望が持てる。

日独伊三国同盟に強硬に反対するくだりから、ブーゲンビルの空に散った悲劇の最期まで、あくまで山本五十六の視点で開戦の顛末を追った本格戦争映画。役所広司演じる山本司令長官は徹底した現実主義者として描かれ、あくまで国益を守る外交的視点と、攻撃準備と生産力不足による軍事的見地の双方の理由から戦争回避に尽力する。

論理的で明快なその主張に大臣や軍幹部さえ返答に詰まる場面が度々あるが、結局山本の優れた情勢分析は採用されず泥沼の対米戦に巻き込まれていく。それでも真珠湾やミッドウェーでは革新的な戦術を発案して奮闘するが、これも山本の意を解さぬ日本側旧勢力のせいで不発に終わる。優れた戦略家が、愚かな権力者の政治的思惑や建前論につぶされる悲劇ドラマになっていて、楠木正成や真田幸村ら同様の運命をたどった歴史の英雄たちを思い出させる。

それにしても米国の実情を直接出向いて見てきた山本が、愛国的立場からいろいろと苦心する姿は現代人の目から見るとじつに羨ましい。なにしろ現在は、アメリカやら中国に留学して帰ってくる専門家の多くは、その見聞を生かすどころか愛国的とはほど遠い、むしろ反対のことばかりやっている。外務省でなんとかスクールなどと呼ばれ、留学先の利益ばかり考えている人たちには、この映画の山本五十六の生き方を見習ってほしいと切に願う。

映画は山本五十六記念館や長男が協力した事もあってか少々美談になりすぎたきらいはあるが、時代考証、とくに開戦理由を公平に伝えようという点には相当気を使った形跡がみられる。山本が何度も念を押したにもかかわらず外交官の不手際で宣戦布告が遅れ、結果的に真珠湾攻撃がだまし討ちになってしまった経緯や、民間人への攻撃を固く禁じた通告なども明言されている。

映画「パール・ハーバー」から10年。ようやく70年の「トラ・トラ・トラ!」と同じ主張を日本映画も語れるようになった。この作品は、最近の邦画の戦争ものの中ではもっとも誠実かつ冷静な歴史映画になっている。

気を使ったといえば、ミッドウェーの現場指揮を執った南雲中将についても同様に感じる。大敗を喫したミッドウェーにしろ山本の戦略自体は正しかったのだという、山本を持ち上げる立場をとる場合、おのずとこちらを愚将扱いするほかないのが常道。

しかしこの映画ではそのような一方的な印象を観客が受けないよう、南雲の部下が不適切な助言をするショットを挟むといった演出上の工夫をしている。もともと南雲という人物は水雷戦が得意で、山本がプッシュした艦載機による航空戦闘戦術については詳しくなかった。

だからあまりに南雲を間抜け扱いすると、将棋ばっかり指してないでオマエが直接指揮をとれば良かったんだろと観客が気づきかねない。これは地味ながら演出面ではファインプレーといえる。

現代の作品だからスペクタクルにも手抜きはない。CG製作費だけで3億円をつぎこんだ交戦シーンは迫力満点。中でもミッドウェー海戦で孤軍奮闘した空母「飛龍」の壮絶な戦いには胸を打たれる。率いる山口多聞少将は、この戦いで空母全滅を回避すべく艦載機の兵装について上官に重要なアドバイスをしたが退けられた。ここでは大きな見せ場が与えられる。

これを演じる阿部寛はじめ、声に特徴ある役者をそろえたことで、人物名などを字幕に表示する野暮ったい演出を排除した点も評価できる。

脚本上、不必要な人物もいないし、史実をよく整理している。そしてなにより見事なのは、山本をフィーチャーし、すぐれた戦略家が無駄死にするパターンを強調することで、現代とのリンクを浮き上がらせた点だ。

なにしろこの2012年になっても、我が国のリーダーは短期間でころころ変わり、ひとたびフクシマで有事となれば大本営発表を繰り返し、マスコミも無責任体制でそれを持ち上げる。そんな中、優れた戦略を進言するものはいるが、そういう意見が採用されることはなく、犬死に(政治的、という意味も含む)するのみだ。

この映画を見ると、この国は敗戦からろくに学んでいない事がよくわかる。あるいは、日本という政治体制の絶望的な欠陥を感じて複雑な気持ちになる。2011年の3月11日以降、多くの日本人がそれを痛感しているはずだ。だからこそ、本作は今見る意義がある。価値ある映画化だったと思う。

男の隠れ家 2012年 02月号掲載原稿に加筆しました)



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