『50/50 フィフティ・フィフティ』80点(100点満点中)
50/50 2011年12月1日(木)TOHOシネマズ 渋谷、TOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー 2011年アメリカ/100分/カラ―/ヴィスタサイズ/ドルビーデジタル 配給:アスミック・エース
監督:ジョナサン・レヴィン 脚本:ウィル・レイサー 音楽:マイケル・ジアッキノ 出演:ジョセフ・ゴードン=レヴィット セス・ローゲン アナ・ケンドリック ブライス・ダラス・ハワード

≪笑いの陰に苦しみがチラリ≫

笑いというのは偉大なもので、人生における苦しみのほとんどを緩和する働きがある。とくにカネの悩みや恋愛、人間関係などは多くの人が深刻に考えすぎである。こうした悩みで毎年多くの自殺者が出るが、そういう人たちは一度、広い目で世界を見るといい。

大金を借りまくって豪遊した挙句、仕事や嫌いだよ昼寝はやめない嫌なら借金額を4分の1に減らせフフン、とのたまっているギリシャ人を見るといい。青くなっているのはカネを貸してる金持ちだけで、はたから見ればコメディーである。同じように、どうせ90まで生きればアナタの今の悩みなど、年寄りの笑い話になるのではないだろうか。

もし、こうした話に少しでも共感したなら、「50/50 フィフティ・フィフティ」を見るといい。

この映画は、5年後の生存率が五分五分の癌を宣告された27歳の若者の話。彼(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)がその宣告から徐々に体を蝕まれ、周囲との人間関係や自身の価値観が変化していく様子を描いた闘病ドラマだ。

脚本家(ウィル・ライザー)の実体験がもとになっている上、主人公の悪友役(セス・ローゲン)は実際にその脚本家の友人として同じ苦難を共にした人物。つまりストーリーを作ったものも演じる者も本物。ここで描かれる幾多の心情は、きわめて高いリアリティーを持っているといえるわけだ。

特筆すべきはこの闘病映画が優れたコメディーになっている点。欧米の闘病映画にはこうしたアプローチの作品が少なくないが、伝統的にユーモアが苦しみを和らげることを知っているからだろう。

この作品も笑いの部分がよくできており、のっぴきならない悲劇の真っ最中だというのに、それを笑い飛ばす不謹慎さが観客にとってもそのうち気持ちよくなってくる。同じ闘病仲間(むろん主人公以外は老人ばかりだ)の自己紹介シーンなども、毒のある笑いで観客を笑わせ心を解きほぐした直後に、深刻すぎる病状が明らかになるなど、落差の激しい悲喜劇のサンドイッチ構造が特徴的。このメリハリがとてもいい。

病気は誰もがかかるものだし、死もしかりだ。早く死ぬか遅く死ぬかの違いがあるだけで、過剰に悲しんでばかりいるのは健全ではない。この映画はそうした価値観のもとに、最悪の病気をテーマにしながら非常に力強い、生命賛美のメッセージを伝えてくる。

優れた笑いのセンスと魅力的な人物描写であらかじめ共感をさらっているので、そのメッセージも素直に受けとめられる。きわめて優れたストーリーテリングであり、映画としての完成度も高い。ラストショットにおけるある女性のセリフは、これ以外はありえないと絶賛すべき見事なもので、感動の涙を誘うだろう。

死を受け入れる事の大切さ、生のかけがえのない尊さ、それを当たり前の日常として描くことで観客たちに思い出させる。病気は苦しいものだが、決してマイナスだけを与えるものではない。それに気づかず生きるよりは、多少は幸せになれるのではないかと私は思う。

生きる希望がわく佳作。最近ちょっぴりサゲサゲだよと自覚している人は、だまされたと思って見てみてほしい。決して損はしないはずだ。



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