『ミスター・ノーバディ』97点(100点満点中)
Mr.Nobody 2011年4月30日、ヒューマントラストシネマ渋谷他、全国順次ロードショー 2009年/フランス、ドイツ、ベルギー、カナダ/カラー/137分/提供:アスミック・エース エンタテインメント 配給:アステア
監督・脚本:ジャコ・ヴァン・ドルマル  撮影:クリストフ・ボーカルヌ  美術:シルヴィー・オリヴィエ  編集:マティアス・ヴェレス、スーザン・シプトン 出演:ジャレッド・レトー サラ・ポーリー ダイアン・クルーガー リン・ダン・ファン

≪超絶技巧の傑作、年間ベストワン候補の筆頭≫

かつてイギリスにドリアン・イエーツというボディビルチャンピオンがいた。驚異的なバルクと低頻度高強度の斬新なトレーニング理論を実践したことで、時代を変えたチャンピオンとして今でも大きな尊敬を受ける人物だ。

彼がユニークなのは、ボディビルを始めようと思った時、始める前にまず過去〜現在までのチャンピオンたちの映像やトレーニングメニュー、栄養学などを一通り学んだという点だ。最高のアーティストたちを徹底的に研究して、それらを倒すための具体的計画、グランドデザインをしたあとで入門したのである。ひ弱な体の初心者が、いきなりそんな大志を抱くこと自体が非凡の極みである。

一方、ある歌手は同時代の他のアーティストの作品をなるべく聞かないようにしているという。無意識のうちに影響され、自分の軸がぶれるのを恐れるためだそうだ。感受性が豊かすぎる場合、これも一理あるやり方だ。

ライバルの作品、成果を真正面から見つめるべきか。あるいは情報鎖国して挑むべきか。

これはそれぞれの性格に合わせて選ぶほかない道だが、後者のタイプは絶対に『ミスター・ノーバディ』を見ないほうがよい。

この映画は、「超映画批評」本年度の早くもベストワン候補の筆頭である。私は数か月前にこれを見た直後、しばらく席で呆然と余韻に浸っていた。いまだにその感動は残ったままだ。そしてここでいう感動とは、単純に泣けるとかそういう意味ではなく、作り手の圧倒的才能を目の当たりにした驚きと喜びというべき種類のもの。

私はあくまで鑑賞者だからそう感じたわけだが、もしこれを映画作りを職業とするものが見たら、そうとうキツいだろうと思うのである。猛烈に嫉妬するだけなら救いはあるが、あまりに巧すぎる技を見せられ意気消沈したら、その後の創作活動に支障が出てしまう。

舞台は2092年、人々は医学の進歩により不老不死を謳歌している。だがあえてその道に背を向けた名もなき男(ジャレッド・レトー)がいま、人類最後の老衰死者になろうとしていた。人々の興味の対象となった男の過去。取材者に語る男のそれは、しかし矛盾だらけの物語。いったい男は誰と愛し合い、誰と別れ、誰と添い遂げたのだろうか。

この映画はSF的な設定だが、中身はきわめてロジカルで現実的な、大人向けのドラマである。一人の男の人生を、そのあらゆる時点における選択肢とその先──に待ち構えていたであろう──の展開を、同時進行で描き切った凄まじい脚本が見どころだ。

どの女の子とデートするか、問いかけにどう回答するか、あるいはあの時どこへ行くか……大小さまざまな選択肢が、バタフライ効果のごとくのちの人生に影響を及ぼしてゆく。それは誰もが体感するが、決して証明はできない空想の世界だ。

この映画の恐るべきところは、それらの空想をすべて、たった1本の映画の中で展開してしまったことに尽きる。だから本作のストーリーは、上映時間が1分また1分とすぎゆくほどに、平行世界が増え、まるで生い茂る巨木の上方へと向かうように無数に枝分かれしてゆく。

とてもじゃないが観客の理解力が追い付かない──と思うだろうがさに非ず。信じがたいことだが、この映画をみて混乱することは全くない。すべての「人生の側道」をジャレッド・レトーが一人で演じているにもかかわらず、なぜ見る側は迷わずいられるのか。

その裏には衣装やカメラワーク、光を含めた画面の色合いといった、非常にテクニカルな部分でそれぞれのパートを描き分けている作り手の苦労があるのだが、むろん普通にみている分にはそんなことを意識する必要はない。ただただ、めくるめく巨大な運命の樹、その面白さ、美しさを堪能すればいい。

いったいどこまで広がるのか、収拾をどうやってつけるのかさっぱりわからなくなってきた頃、映画は鮮やかなフィナーレを迎える。この男の真なる人生はどれなのか、その謎を追いかけてきた観客に提示する「もっとも重大な選択肢」。その瞬間、わけもわからず迫りくる感動の大波に、説明しきれぬ幸福感を味わうことができるだろう。

それにしても、この映画のとくに終盤、二転三転する混乱の極みのような展開によって、作り手は何を訴えているのだろう。

観客は「どれが男の真の人生だったのだろう」と思いながら映画を見る。それは「正解はどれだ」と探しているのと同じ意味だ。つまり、それはあなた自身。あなたは人生の「正解」を常に探しているのではありませんかと、そう問いかけているのである。

それに対するこの映画の「解答」。その衝撃に私たちは涙するのである。主人公"ミスター・ノーバディ"が最期に感じる感情、それこそがこの映画が伝えんとするすべてである。

この荘厳な結末に至るまでに、いったいこの監督は何度脚本を読み直し、書き直し、編集を繰り返したことだろう。その膨大な思考実験を想像すると、これはもう圧倒されるというほかない。こんなことは絶対にマネできないし、する気力も体力もない。あまつさえ、この監督(ジャコ・ヴァン・ドルマル)はそれをパーフェクトに実現してしまったのだ。限られた予算と製作期間でそれを行う困難は、想像に余りある。奇跡的な超絶技巧という言葉以外、私には思い浮かばない。

これは本当に凄い映画である。映画を見ながら色々と思考し、結末に対しても熟考するのが好きな中級以上の映画ファンが見れば、確実に満足できる作品である。これを1800円で見られるのは明らかに安すぎる。監督以下、スタッフキャストに申し訳ない気分でいっぱいだ。



連絡は前田有一(webmaster@maeda-y.com 映画批評家)まで
©2003 by Yuichi Maeda. All rights reserved.