『阪急電車 片道15分の奇跡』85点(100点満点中)
2011年4月29日(金・祝)公開 全国東宝系 2011年/日本/カラー/119分/配給:東宝
原作:有川浩 監督:三宅喜重 脚本:岡田惠和 出演:中谷美紀 戸田恵梨香 宮本信子 南果歩

≪平凡な人生の尊さを教えてくれる心優しい佳作≫

『英国王のスピーチ』がイギリス王室へのご祝儀のようにアカデミー賞を受賞したわずか2か月後、ロイヤル・ウェディングが世界に微笑みをもたらした。そしてその瞬間を見届けるように、オバマ大統領は翌日オサマ・ビンラディン暗殺計画を実行した。

敵総大将の死に熱狂する米国民の姿をみるにつけ、この国の大衆はわかりやすいストーリーが好きなのだなと実感する。この後は、長きにわたる対テロ戦争に一息付き、当然ながらアフガニスタンからの凱旋帰国と、抱き合う米兵の家族たちの美談ニュースがお茶の間をにぎわすことだろう。世界(米国人にとって)は平和に向け、大きく前進する。ハリウッド伝統の、感動のハッピーエンディング、というやつだ。

むろん金価格やドル、株価や原油市場も大きく動く。あの国のような巨大な経済を動かすには、経済理論のほかに映画的な演出が必要だということが、ここ数か月の動きをみているとよくわかる。

もちろんその"束の間"の平和の後に何が起こるか、それは歴史を見れば明らかであるが、とりあえず今後しばらく米国映画は、平和ムードの大衆に合わせたトレンドとなるのだろう。

『阪急電車 片道15分の奇跡』は日本映画だし、そうした国際情勢とは無関係の企画であるが、具体的にあげるならこうした映画こそこのご時勢にぴったりである。阪急電鉄をフィーチャーしたご当地映画という見た目から、どうせまた予算集め重視のあたりさわりない凡作だろうとの先入観を私は持っていたが、それはいい意味で裏切られた。

この映画は、有川浩の連作短編集が原作ということで、プロットもいくつかのストーリーが同時進行し、後半に絡み合う形になっている。主な登場人物は男女8人。彼らに共通するのはみな孤独で、いわゆる勝ち組というような人たちではない、無名の庶民たちということ。題名通り、関西ローカル線“阪急電鉄今津線”に乗りあわせた彼らの物語を丁寧に紡いでゆくハートウォーミングドラマである。

この8名は、個性的な見た目の人気俳優たちが演じているうえ、最初にコレ!と中心人物をハッキリ宣言する親切な演出になっているから、観客は一切の混乱なく見ることができる。弱者に寄り添う視線が一貫しており、冒頭からキャラクターに共感するためのうまいエピソードを配置する。

冒頭に書いた通り世界は平和ムードに向かっているが、いま日本人は震災で心が弱っている。それは被災地のみならず、毎日テレビで凄惨な津波被害の映像を見せられたその他の地域の人も同じだ。私は震災直後、国内で最も影響が少ないとみられた沖縄にしばらく滞在したが、元気いっぱいな現地の人と交流する中で、自分自身もそれなりに参っていたことを自覚した。

いまも都内は相変わらず節電で薄暗く、見ようによっては陰気くさい、そんな印象さえ受ける。あいつぐ雨で放射性物質は地面に降り積もり、駆け転げまわる子を持つ親たちは不安なままだ。こうした状況下で都民たちも、無意識ながら相当精神疲労がたまっている。

そんな時代、『阪急電車 片道15分の奇跡』があなたを癒してくれる。この作品が描いている真っ正直な人情の暖かさ、無力な人と人が手を取り合って助け合う尊さ。そうしたテーマを素直に受け取れる。いまこのとき、この映画があってくれたことを、私は本当にありがたいと思うのである。

登場人物たちはみな、自分など他人に影響を与えることなどない、とるにたらない人間だと思っている。しかし、彼らのささやかな善意が、思いもよらぬ波状効果でまったく知らない人たちの人生を素晴らしいものに変えてゆく。たとえ平凡でも、誠実に生きることがいかに世の中を良くしているかを描く、この映画は心強い応援歌である。

そしてこの物語は、いま被災地で実際に、無数におきているドラマそのものであろう。強きヒーローが人々を救う話は現実逃避だが、ひとりひとりの生活者が善意で助け合う姿は現実そのものである。報道などされることもない、誰も見ていない。だが、そんなありふれた街角にこそ、人間にとってもっとも価値あるものが存在するのである。

演技者たちがまた良い。強気な見た目に隠れた繊細な心を恋人に理解されず、あっさり振られた女性を演じる中谷美紀。一途な優しい女性なのに、DV彼氏にひどい目に合わされる戸田恵梨香。そして長年の伴侶を亡くし、息子夫婦ともぎくしゃくしている宮本信子。本当は明るく社交性があるのに、不器用なため周りから浮いてしまい友人ができない大学生を勝地涼。望まないつきあいを続けざるを得ない家族思いの専業主婦役・南果歩。

どの役者も的確で抑えた演技で統一感があり、この人こんなに上手かったんだと新たな発見をすることができる。穏やかな光と安定したカメラワークも秀逸で、テレビ出身とは思えないほどの落ち着いた演出を三宅喜重監督は見せつける。吉俣良によるサントラも心に残る優しいものだ。

ひたすら善意の積み重ねというドラマ展開は、本来あざとくなりがちで、三宅監督の手腕をもってしても長時間は厳しい。冒頭のコメディーシーンによるつかみから続くマジックも、やがてとけてしまう。個人的には、ギリギリといった印象だ。だからもうすこし、コンパクトにまとめたらなおよかった。

とはいえ、心が弱ってる人に勇気を与える1本としては、現在見渡す限りこれ以上のものはない。今日まで生きててよかった、報われたと感じさせてくれる良作である。私は本作を、苦労を知る大人たちにこそ見てほしい。「この大変な時代に生きる弱き人々よ、無力感にさいなまれる事なかれ。君たちの生き方は決して間違っていない」というメッセージを、心の奥に届けてくれる。このゴールデンウィーク有数の傑作ドラマとして推薦する。



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