『あしたのジョー』65点(100点満点中)
2011年2月11日公開 全国東宝系 2011年/日本/カラー/131分/配給:東宝
監督:曽利文彦 脚本:篠崎絵里子 出演:山下智久 伊勢谷友介 香里奈 香川照之 勝矢

≪計量シーンがすごすぎる≫

山下智久主演で『あしたのジョー』を映画化すると最初に聞いた時、容易に想像できたのは、原作ファンのおじさまたちはあくまでサブ、あくまでキャストのファンを主要な見込み客と想定して話を進める製作会議の様子であった。その場合危惧されるのは、ボクシングシーンの下手さであったり、過剰なロマンス要素の搭載など。ジョーと白木葉子がチュッチュする話など、想像するだけでぞっとする。

映画を見るのは女性が中心という、各種アンケート結果に映画業界は必要以上に毒されているような気がしてならない。そもそも、山谷のドヤ街を舞台にした汗臭いボクシング作品に、女性客を呼び込もうという発想が無茶である。

それでも曽利文彦監督以下、本作のスタッフとキャストはうまくバランスを取った。実写版「あしたのジョー」は、きわめてスタイリッシュで女性のライトユーザーも呼び込めるつくりの中に、うるさ型も納得する俳優たちの本気の役作りが見られるという、本格エンタテイメントとして仕上がった。

昭和40年代の東京、ドヤ街にひとりの若者が流れてきた。ケンカ屋として荒んだ日々を送る矢吹丈(山下智久)は、その腕っぷしを元ボクサーの丹下段平(香川照之)に見込まれるが、飲んだくれの戯れ言と相手にせず、やがて問題を起こして少年院へと送られてしまう。だが、そこで出会ったボクサー力石徹(伊勢谷友介)の圧倒的な実力を前に、徐々に彼は考えを変えてゆく。

高森朝雄&ちばてつやの最高傑作を、力石戦をクライマックスに実写化した話題作。原作は非常に長い物語だが、余計な新解釈を挟むことなくほぼ忠実に再現。原作とそのファンを尊重している印象を受ける。わずかな時間で、ジョーと時代の背景を描き切ったオープニングが秀逸で、思わずワクワクした。

前半は非常に丁寧に作られた印象で、力石との最初の一戦はもとより、飲み屋の前の乱闘のパンチひとつに至るまで、はっとさせるような切れ味がある。パンチのあたる瞬間が見えないほどの速度が強調され、こりゃ期待できそうだとの思いを強くする。

ボクシングシーンはおおむねよく出来ていて、とても素人が演じているとは思えない迫力がある。CGをうまいこと使ったけれん味ある試合シーンは、映画でなければ見られないプレミアムな映像美を感じさせる。これまでボクシング映画は数多く作られてきたが、そのどれとも似ていない。挑戦的な見せ場である。

ただ後半になると、その限界も見え隠れする。具体的には打ち込まれたボクサー役の演技力がそれで、膝が笑う様子などはどうしても芝居がかって見えてしまう。ボクシングの、多少の経験があっても絶対にわからないのがこの「グロッキー状態」であり、それを外部のアドバイザーが未経験者に教えるのは非常に困難である。打ち方をプロっぽく見せるのは可能でも、朦朧とするほどの肉体ダメージを受けた際の全身の挙動はそう簡単には演技指導できない。ましてあの力石戦の死闘ともなれば、たとえプロ選手であってもほとんど未知の領域であり、その困難は想像を絶する。

一方、リングに立つ二人の肉体は、文句なしに素晴らしいもので、過去のあらゆるボクシングムービーと比較してもトップクラスに入る。近年の日本映画で、ここまで役者が肉体作りを成功させた例は無いのではないか。

デジタル技術にたけた曽利監督ならば、マツコデラックスでもジョー役に仕立て上げられるだろうが、今回ばかりはCG修正の手間いらず。腹筋のシックスパックも、三角筋のストリエーションも本物であり、観客も安心してみていられる。

山下智久&伊勢谷友介の二人が、本当にあの凄まじい肉体を自ら作ったことは、実際に私も生で見たのでよくわかる。私が普段通っているジムにはトップクラスのボディビルダーがうようよいて見慣れているので言うが、二人の肉体も遜色ない。

あれだけ体脂肪を減らしていれば、スタミナもほとんどゼロに近いはずだが、ハードな撮影を二人とも淡々とこなしていた。とくに力石役の伊勢谷友介は、原作通りのあの体を再現しており、さぞかし寿命を縮めたに違いない。ハリウッドで何十億もギャラをもらうスターだって、ここまでやれる奴は少ない。大いに評価してよいと思う。

『あしたのジョー』にはいくつかの重要な人間関係があって、そのどこに焦点を置くかでドラマの質が変わってくる。ジョーと白木ならば、決して重なることのない男女の切なさを。ジョーと西ならば、天才と凡才の対比の中で、憧れや孤独といった感情を描くことができるだろう。そしてこの映画版ではジョーと力石、二人の天才の友情と悲劇にスポットを当て描いている。ヒロイックであり、時間の限られた映画の中ではそこが王道というのもよくわかる。

だが個人的には、それよりもジョーと丹下段平の関係、すなわち彼らが最底辺から這い上がってゆくドラマを見たい気もする。もっともそういう汗臭い、男臭い、昭和くさいものは流行らないと判断されてしまうだろうか。現代は『あしたのジョー』に描かれているのと同じくらい、不公平感漂う格差社会の中で若者たちがくすぶっている時代だと思うが、そこに共通項を見出し、メインテーマとするコンセプトであっても良かったと思う。

とはいえ、泪橋でこの師弟が明日の成功を夢見る原作屈指の感動シーンもちゃんと入れ込んでいるあたり、監督はよくわかっているのだろうなと感じる。わざわざ山谷の街をオープンセットで建設し、泪橋まで作ってしまった情熱からもそれはうかがえる。なんといっても今、実際の泪橋に出かけていったところで、あるのはただの交差点。逆から渡ろうにも橋がない。赤信号を一つ待てばさっさと渡れる味気ない状況である。

映画「あしたのジョー」は、キャスティング等から想像される安直映画化ではなく、作り手の情熱と本気度がそこらじゅうからにおい立つ点で好感度の高い作品といえる。と同時にいまの映画作り、とくにメジャー作品におけるそれの、コンセプトのズレや不自由さというものも痛感させられる作品である。

いずれにしても、見ておいて損はない。今年の日本映画を代表する重要な作品の一つといえるだろう。



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