『ノルウェイの森』75点(100点満点中)
ノルウェイの森 2010年12月11日公開 全国東宝系 2010年/日本/カラー/2時間13分/PG12作品 配給:東宝
原作者:村上春樹 監督:トラン・アン・ユン 撮影:李屏賓(マーク・リー・ピンビン) 音楽:ジョニー・グリーンウッド 出演:松山ケンイチ 菊地凛子 水原希子 玉山鉄二

≪原作ファンにすすめたい≫

『ノルウェイの森』がブームとなった80年代後半は、赤と緑の二冊組のハードカバーを持って歩いているだけで、なんとなく教養があるふりができた古き良きバブル時代である。普通の男女がブンガク作品をデートの話題にするようになったほどの、歴史に残る社会現象であった。

私のような恥ずかしがり屋の純情ボーイにとっては、この作品は下心を隠して女の子とエロ話をするための材料のようなもの。だからこそ異常なまでの大ベストセラーになったのだと、いまだに私は固く信じている。

昭和40年代。ワタナベ(松山ケンイチ)と親友のキズキ(高良健吾)、キズキの彼女である直子(菊地凛子)は3人でいつも仲良く過ごしていた。だがキズキが謎の自殺を遂げ、残された二人は深く傷つく。ワタナベは反動で大学では女遊びに走り、直子は療養のため入院した。直子への思いを忘れられぬワタナベだったが、やがて大学で爛漫な少女、緑(水原希子)と出会う。

喪失と再生を主題にしたノスタルジックな恋愛物語であり、切ない青春ドラマ。ストーリーを説明されてもこれっぽっちもその魅力は伝わらない、そんなタイプのお話である。

原作と比較すれば当然いろいろ省略されているが、違和感はない。むしろ、よくこれほどに原作の ムードに忠実に映像化したものだと驚かされる。

監督したのはベトナム出身のトラン・アン・ユン。カメラマンもアジア各国で活躍するマーク・リー・ピンビン。映画ファンならば、文芸映画にふさわしい美しい映像になるだろうと容易に予測できる顔ぶれだ。しかし、なんといっても他のスタッフ、キャストは言葉の通じぬ日本人ばかりであるから、なぜこんなに見事な「日本映画」を作れたのだろうと驚くところ。

そのあたりの事情をいろいろ聞き調べたところ、どうやら通訳を担当したスタッフが相当優れていたというのが結論のようである。細かいところを見ると、ややセリフを言いよどんだようなテイクが採用されていたりと、外国人監督らしい仕上がりは感じるものの、それがマイナスに感じられないほどの「ムード」をこの映画は持っている。

とくに、「ノルウェイの森」といえば欠かせない直子のフェラシーンなど、根性のない監督であればバッサリカットしそうなものだが、さすがはトラン・アン・ユン監督。芸術性の高さをまったくスポイルしない方法で、ちゃんと二人の全身を映したまま表現するという離れ業を見せつけた。映画史上もっとも美しいブロウジョブとして、人々は菊地凛子の名を記憶にとどめることになるだろう。

その菊地凛子だが、なかなかのカメレオンぶりを本作でも発揮。透明感と陰の両方を併せ持つ直子というキャラクターを、完全にものにしている。主人公をどこか寄せ付けないようにも、かといって手を放したら消えて無くなりそうにも見える、一筋縄ではいかないヤンデレな魅力をものの見事に表現した。言葉など通じなくとも、彼女レベルになれば監督の意図するところをきっちりと受け止められるのである。さすが、恋人が映画監督だけのことはある。

「ノルウェイの森」は、いくつもの三角関係が雪の結晶のように複合したドラマなのだが、いろいろ省略したといってもそのあたりの根本的な構造は映画版でもしっかり構築されている。あらすじに書いた3人の関係、キズキがいなくなったあと、緑が入り込んだ三角。あるいは療養所のレイコさんを加えた3人。はたまた主人公に永沢さん(玉山鉄二演じるインテリなプレイボーイ)とハツミさん(永沢に恋するお嬢様)の3人。

それぞれの三角関係で、主人公の立ち位置はぐるぐると入れ替わる。そのめくるめくような愛憎のドラマを、ちゃんと映画版でも楽しめる。

ちなみに主人公と永沢、ハツミの3人がレストランで会食する場面での、ハツミ役、初音映莉子の表情の変化はこの映画有数の演技面での見せ場である。こちらの背筋が凍るような緊迫感を感じられる、オススメのシーン。見逃さぬよう。

村上文学が国民的人気を博し、教科書にものってるほどといわれるウクライナやロシアをはじめ、すでに数十か国で公開が決まった本作。恋愛のドロドロダークサイドを余すところなく描き、まさにクリスマスに見るのにぴったりな作品といえる。いや、そんなわけはないが、それでも今年の冬のオススメのひとつとして、原作ファンはぜひ映画館に出かけてほしい。



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