『プレシャス』60点(100点満点中)
PRECIOUS: BASED ON THE NOVEL PUSH BY SAPPHIRE 2009年アメリカ/カラー/ビスタサイズ/1時間49分/配給:ファントム・フィルム 2010年4月24日TOHOシネマズ シャンテほかにて公開
監督・製作・脚本:リー・ダニエルズ 原作:サファイア 出演:ガボレイ・シディベ モニーク ポーラ・パットン マライア・キャリー レニー・クラヴィッツ

自分を好きになれない女の子へ

『プレシャス』は、究極のいじめられっこのお話である。主人公は16歳の女の子で、プレシャスという素敵な名前を持っているが、見た目は猛烈な肥満体。アメリカといえば、世界からプロフェッショナルなデブたちが集う地上最強のデブ大国だが、彼女の場合はそこでデブデブばかにされるのだから筋金入り。日本人には到底太刀打ちできないそんなぽっちゃり少女の、悲惨な半生のドラマである。

87年のニューヨーク。黒人文化の中心地ハーレムで気性の激しい母親と暮らす16歳のプレシャス(ガボレイ・シディベ)は、妊娠が明らかになり高校をドロップアウトしてしまう。しかし彼女の真の悲劇はそのあとにあった。子供の父親はいったい誰なのか、彼女が長く受け続けてきた虐待とはどんなものなのだろうか。

ケータイ小説1本分ほどの悲劇フルコースが明らかになったとき、ふと時計を見るとまだ上映開始後13分。そこからプレシャスの希望なき転落の日々と、それでもたくましくあがき、いき続ける姿が感動的に描かれる。とはいえ、無理に泣かせる演出は皆無なので、わざとらしいものが嫌いな人でも大丈夫。どんな人生でも、あきらめさえしなければ今より多少はよくなるよと、そんな自己肯定のテーマを伝える作品である。

1千万ドルの低予算映画なのでカメラは手持ち中心、画面から「貧乏」とか「不幸」といった文字がにじみでてくるような生活観あふれる映像だ。主演女優のガボレイ・シディベももちろん無名の新人。そもそも美女揃いのハリウッドに、こんなふくよかな16歳少女を演じられる人材がほかにいるのかどうか怪しい限りである。彼女の場合はこれでオスカーノミネートの栄光を勝ち取ったのだから、体脂肪さまさまといったところ。人間、何が役に立つかわからない。希望を捨てずに明るく生きよう。

助演女優賞をとった母親役のモニークほか脇役陣もいい活躍をしているが、ひとりあげるならマライア・キャリー。最近しゃがれ声になって往年の美声を愛するファンの一部からは不評だが、いわずと知れた世界的トップシンガーである。

本作では、意外なほど小さな役(といっても重要な役柄だが)で、なおかつノーメイクで出演しているものだから、私も最初は目を疑ったほど。だがそんな彼女の体当たり演技は、どん底の主人公を土俵際で支えるたのもしい希望として、観客の心に暖かな安心感を与えてくれる。

本来こういう映画は、精神的になにかとつらい環境で過ごしている世界中の女性たち、すなわち「自分を好きになれないオンナノコ」を励ますためにあるべきもの。監督がやりたかったのもそういう事だと思う。

ただ、それならば年代や場所を詳しく特定する必要はなかった気もする。87年のハーレムというのは、今の日本人からするとあまりに遠い世界で現実味がない。原作が出たのが10年後、それからさらに10年がすぎ、ようやく映画化というのでは機を逸した悪印象も受ける。

別に実話じゃないのだし、下手な先入観を持たぬためにもテーマの普遍性を強調する意味でも、舞台はもっとぼかしてもよかったろうと思う。



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