『グラン・トリノ』90点(100点満点中)
GRAN TORINO 2009年4月25日(土) 丸の内ピカデリーほか全国ロードショー 2008年/アメリカ/カラー/上映時間117分/6巻/3,198m/シネマスコープサイズ/SRD/DTS/SDDS/字幕:戸田奈津子 配給:ワーナー・ブラザース映画
監督:クリント・イーストウッド 脚本:ニック・シェンク 原案:デイブ・ジョハンソン 出演:クリント・イーストウッド、ビー・バン、アーニー・ハー

イーストウッドの暖かい励ましが心にしみる

いろいろなテーマやみどころが混ざり、深読みしがいもある『グラン・トリノ』だが、この超映画批評では、これを(例によって?)一風変わった視点からオススメしたい。

自動車メーカー、フォードの元工場員で朝鮮戦争の帰還兵ウォルト(クリント・イーストウッド)。頑固者で通る彼は、年寄り扱いする息子連中や、移民が増えて治安が悪化するわが町の姿に日々、悪態をつき暮らしていた。そんなある日、隣家のアジア系移民の息子タオ(ビー・ヴァン)が、同じモン族の不良メンバーにそそのかされ、ウォルトの愛車72年型グラン・トリノを盗もうとしているのを発見する。

この事件を契機に隣家とかかわりを持つようになった主人公は、やがて人間味ある彼らの暮らしぶりを知ることになる。相変わらず民族差別的な悪態をつきながらも、父性不在の一家に代わり、タオの導師的役割をも演じるようになっていく。

さて、このシンプルなストーリーでイーストウッド(監督も兼任)は何を語ろうとしたのだろう?

この監督(俳優)は、78歳という年齢ながら、きわめて柔軟かつ好奇心旺盛な目で時代をみつめる人物だと私は思っている。一言で言うと、とても頭が柔らかい。そんな彼が、この激動の時代をどうみて、どう考えているのか。それを表現したのが本作だろうと私は推測する。

まず注目すべきはこの物語の舞台、ハイランドパークという街。ここは自動車産業の城下町というべき場所だから、そこで元組立工として余生を過ごす主人公は、すなわち「古きよきアメリカ」の象徴である。もっとわかりやすく言い換えるなら、「物を作っていたころのアメリカ」だ。

庭の芝をきれいに刈り、国旗を掲げ、建物は自分の手で保守管理する。そうしたショットは、自治と自立の国民性をあらわしたものだ。

さて、その主人公の周りで今、いったい何が起きているか。なんと、「古きよきアメリカ」が愛したこの街にさえ、彼のような昔ながらのアメリカ人はほとんど残っていないというのだ。

では、古い住民に代わってやってきた人々は、いったい何を象徴しているのか。荒廃していくこの街の様子をことさら細かく、これみよがしに描くことで、イーストウッドは何を伝えようとしているのか。本作を十二分に堪能するためには、そのあたりに思いを寄せる必要があるだろう。

この物語が、さりげなく「現代アメリカ」の赤裸々な姿を描いているとするならば、イーストウッドが最後に掲示する問題解決策についての感動はより深まる。

この瞬間、往年の映画ファンならばイーストウッドの経歴、演じてきたキャラクターの数々を思い出すことになる。こういう男が、これからはこうケジメをつける時代だ、と主張することの説得力といったらない。

最後の計画がアラだらけとか、ショックを受けるイーストウッドの演技が相変わらず大根とか、そんな細かいことはどうでもいい。ラストシーンに出てくる警官の人種さえ、当然のように強いメッセージとして設定する。このようなやり方で、人々にテーマを伝える手腕をこそ称えねばならない。

主人公は、日本車メーカーに勤める実の息子ではなく、アメ車を組み立てる仕事を「かっこいい」と言ってくれた少年のため"本気"を見せる。今の時代、若者が一人で生きるのは簡単ではなく、守り導く存在が必要である。年寄りが若者のためにすべき事を、本作は体を張って伝えている。それをほかの誰でもない、クリント・イーストウッドが語ってくれたことが、何よりも頼もしい。

そんなわけで、紛れもない傑作として、私は『グラン・トリノ』を全面的に支持する。



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