『ハッピーフライト』90点(100点満点中)
A Happy Flight 2008年11月15日(土)全国東宝系ロードショー 2008年/日本/カラー/103分/配給:東宝
監督・脚本:矢口史靖 製作:フジテレビジョン、アルタミラピクチャーズ、他 出演:田辺誠一、時任三郎、綾瀬はるか、吹石一恵、岸部一徳

全日空全面協力の、かつてない飛行機映画

『ウォーターボーイズ』(2001)、『スウィングガールズ』(2004)と続けてヒットを飛ばした矢口史靖(やぐちしのぶ)監督は、この最新作では飛行機を飛ばすことになった。取材の過程でマニア級の飛行機好きになった監督としては、前二作とは趣の相当異なる、そして邦画には珍しい「一般ウケするオタク映画」を作り上げた。

ここで本来あらすじを紹介するのだが、この映画の場合は必要ない。『ハッピーフライト』は群像劇の形を取っているが、ストーリーを楽しみにいく作品ではない。一機の旅客機が飛び立つまでに、いったい空港や管制塔の裏側では何がおきているのか。どんな人がどんな仕事をしているか多岐にわたって追いかけるという、その一点に注力した作品なのだ。

つまりこれ、飛行機マニアで有名な宮ア駿も真っ青なディテールの積み重ね"のみ"で、映画を作ってしまったという、とてつもない挑戦・意欲作といってよい。そしてその面白さは、そんじょそこらの飛行機パニック大作が束になってもかなわない。

たとえば滑走路では、爆音に消されぬよう通信用のマイクに骨伝導のものが使われている。あるいは鳥と航空機が激突するのを避けるため、散弾銃を持った職員が近辺をパトロールしている。整備士は工具箱に鍵をかけている。

こうしたトリビアが、それこそ山のように映画に登場する。パイロットや客室乗務員はもとより管制官、機内掃除のおじさん、そして強烈なクレーム客まで、かつてないほど「ひこうじょうのひとびと」の様子を克明に記録したドラマ映画といってよい。

しかもそれらはあくまでさりげなく登場する。自慢げに「こんなにリサーチしましたよ〜」と出てくれば鼻にもつくが、この監督はそんなミスは犯さない。説明はほとんどなく、しかし観客に伝わるよう、絶妙の演出力で処理されている。

たとえばパイロットの一人が酸素マスクをつけるシーンがある。このマスクが何で、何のために出てきたのか映画では一切解説されない。だがその意味は、確実に観客に伝わる。それはなぜかと言うと、その少し前に機長らが弁当を食べるコミカルな場面があるからだ。

この二つは対になったシークエンスで、この順で配置されることで、初めて意味を持つ演出となっている。

後者のマスクの場面では、余計な解説を入れたらストーリーをつなぐ旋律が確実に途切れ、サスペンスとしての面白さが損なわれる。だから無説明にするほかないが、矢口監督はその役割を弁当の場面に担わせている。小さなことのように思えるが、こうした丁寧な脚本を書き、演出できる人がいったいどれだけいるだろう。

この監督のセンスのよさは、田畑智子演じるグランドホステスの物語にもよく現れている。この作品の登場人物はみな魅力的なので見ていて飽きないが、彼女のエピソードのラストのさわやかさは、映画全体の満足度を大いに上げたといってよい。説明過多な演出がいかに映画をつまらなくするか、この監督はしっかりと心得ている。

メカや「おしごと」部分のリアリティおよび徹底したリサーチ結果に比べると、俳優たちがその役目を担う「人間のリアリティ」はやや追いついていない印象を受ける。もっとも、そこをこだわるには相当な役作り期間と費用がかかり、日本映画では難しいものがあろう。

よって、それぞれの役者の個人技に頼る形になっている。そのためそれぞれのキャラクターが放つムードにはムラがあるが、今回はいい意味でメリハリとなった印象。時任三郎や寺島しのぶは、プロらしい凛々しさを感じさせるし、田畑智子や平岩紙のコミカルな雰囲気もいいアクセント。座頭市から一変、綾瀬はるかの天然ぶりもかわいらしい。

『ハッピーフライト』のような力作が増えてくると、日本の娯楽映画界も盛り上がる。お手軽娯楽では決してない、信念を持った本気のリサーチと、それを安定した演出力であえて軽い味付けに仕上げる優れた監督。

先日、JAL全面協力のトホホなバスケ映画があったが、これをみるとこれからはANAに乗るかという気にもなる。これほどの傑作が出来上がれば、現役旅客機を撮影のため15日間も提供した社長さんも大喜びであろう。

『ハッピーフライト』は本当にすごい映画だ。邦画に常にがっかりさせられる人が見たら、この凄さがきっとわかるはずだ。



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