『アキレスと亀』85点(100点満点中)
Achilles and the Tortoise 2008年9月20日、銀座テアトルシネマ、テアトル新宿、渋谷シネアミューズにてロードショー 2008年/日本/119分/配給:東京テアトル+オフィス北野
監督・脚本:北野武 プロデューサー:森昌行、吉田多喜男 出演:ビートたけし、樋口可南子、柳憂怜、麻生久美子、中尾彬

北野武監督最新作は、相変わらずややこしいゲージュツ家物語

『TAKESHIS’』(2005)、『監督・ばんざい!』(2007)に続く三部作とされる北野武監督の最新作には、数学を愛する監督らしいタイトルがつけられた。

足の速いヤツが遅いヤツに永遠に追いつけない"アキレウスと亀"の話は、もっとも有名なパラドックスだが、様々な意味あいで本作の中に投影されている。冒頭、これの詳しい解説がつく事でわかるとおり、上記三部作の中では観客に対して一番親切なつくり。その解説がよりにもよってアニメでなされるあたりは、前2作を難解だと批判されまくった監督からの皮肉を感じさせる。のっけから心憎い演出である。

富豪の家に生まれた真知寿(吉岡澪皇)は、何の疑いも心配もなく、ただ大好きな絵だけを描いて少年時代を過ごした。ところがあるとき環境が一変、一文無しになって意地悪な親類の家に預けられるハメに。だがこれは彼の波瀾万丈な人生の、ほんのスタートラインに過ぎなかった。

青年時代の主人公を柳憂怜(柳ユーレイから師匠により改名)が、老年時代をビートたけし自らが演じる。基本的には、絵描きの一生を描くドラマだが、もちろん一筋縄ではいかない。麻生久美子&樋口可南子演じる奥さんはじめ、関係したすべての人々に迷惑をかけまくり、それでもやめないやめられない、いややめるべきではない芸術家としての生き方を肯定的に描く。皮肉やブラックユーモアたっぷりだが、才能の有無にかかわらず孤高の存在たる芸術家に対する、監督の憧れのような感情を読み取ることが出来る。

夫婦愛についても描かれるが、それはむしろこの「芸術家の生き方」を擁護するためのコマといった印象で、主題ではないように思える。しかし、これがあるから一般の観客もかろうじて退屈せずに見ていられるという部分は否めない。

『TAKESHIS’』『監督・ばんざい!』に連なる作品ということで、きわめて個人的な、作家性の強い作品であることは間違いない。よって、前二作に引き続き、私はコレを一般のお客さんにはすすめない。初期のキタノ作品が好きとか、そのへんを期待する人にもすすめない。あくまで前二作を楽しく見られた人のみ、入場する権利があると考える。

それでも本人が自嘲気味に語るとおり、まったく客が入らないことに怒り心頭のプロデューサーに配慮して、一般受けを多少なりとも考慮しているのは事実だろう。老年時代の、夫婦コントのような共同制作の場面は爆笑必至だし、なんの意味もない電撃ネットワークの登場も、あきれつつも笑わせてもらった。これで十分だろ、わかりやすいだろといわんばかりの監督の表情がみえるようで面白い。

個人的には、主人公夫婦がウォールペインティングをする商店街が、監督の出身地梅島にほど近い、また亀有駅からも徒歩でいけるアモーレ東和だったのには笑った。建築途中で予算不足のまま放置され、地元民の苦笑を買ったアーケードの残骸をさりげなく写しているあたり、さすがによくわかっている。

アキレスと亀の追いかけっこは、長きにわたり数学者を悩ませてきた。真知寿と妻の追いかけっこははたしてどんな結末を見せるのか。ごく少数だが、伝わる人には伝わる、なかなか奥深い一本である。



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