『コレラの時代の愛』60点(100点満点中)
Love in the Time of Cholera 2008年8月9日(土)より シャンテ シネ他全国順次ロードショー 2007年/アメリカ/カラー/137分/R-12/配給:ギャガ・コミュニケーションズ
監督:マイク・ニューウェル 脚本:ロナルド・ハーウッド 作曲:アントニオ・ピント 原作:「コレラの時代の愛」(新潮社刊) 提供:ティー ワイ リミテッド出演:ハビエル・バルデム、ジョヴァンナ・メッツォジョルノ、ベンジャミン・ブラット

好きな女との初夜を50年以上待ち続けた男

コロンビアの小説家、ガブリエル・ガルシア=マルケスは、日本の大江健三郎や筒井康隆らを含む世界中の知識人に影響を与えたノーベル賞受賞作家。これまで幾多の誘いを断ってきた彼を、本作の制作会社スタッフは3年間にわたり説得。ついにその代表作『コレラの時代の愛』の映像化に成功した。

1897年、コロンビア。電報配達人フロレンティーノ(ハビエル・バルデム)は、配達先の令嬢フェルミナ(ジョヴァンナ・メッツォジョルノ)に一目ぼれ。熱烈な手紙を契機に、二人は恋に落ちる。ところがそれをよしとせぬ彼女の父親により、二人は離れ離れに。数年後、フェルミナは医師のフベニル(ベンジャミン・ブラット)と結婚。それを知ったフロレンティーノは悲嘆にくれるが、フベニルが死に、再度愛を告白できる日まで彼女を待ち続けることを心に誓う。

この作品のストーリーは、ありそうでありえない、リアルだが荒唐無稽とでもいうべきメインアイデア(50年以上も待ち続ける男)に支えられている。エピソードの多くがマルケス本人や近しい人の体験談を基にしており、それが作り物と切り捨てられない質感を作品に与えているのではないかと言われている。

それにしても、だ。ハンサムでまったく女に困らないタイプの主人公が、愛する女を(夫から)奪うのでなく、ライバルが老衰で死ぬまで待つと決めるあたりが異様だ。しかも、恋をしたといっても二人のコミュニケーション手段は文通のみ。今で言えば、メールとチャットで盛り上がったもののまだ一回もヤってない女の子を、相手の彼氏が死ぬまで待つようなものだ。まさにキング・オブ・ストーカー。

さらに彼は、上流階級入りを狙う彼女の父親に嫌われた原因たるワーキングプア状態から抜け出そうと仕事に打ち込む。

曲がりなりにも愛する人が選んだ男が世を去ること、そして自らが彼女にふさわしい男になること。この二点をクリヤーせねば、人生を狂わせるほどの恋心に自ら報いることができなかったのか。恐ろしいまでの執念、そして愛だ。

とはいえ、さすがにこの生き方はきつい。よって主人公は彼女が去った心の痛みを癒すため、片っ端から女を抱きまくる。本気の愛ではないが、それなりに愛でてやる。そうやって、純愛を貫く心とのバランスをとっている。ここだけは、なんとなく共感できる。

そしてこれも精神的リハビリの一環なのだろう、彼は抱いた女の詳細をノートにつけることを「習慣」とする。その人数たるや、3桁になってもペースが落ちる気配もない。ジェームス三木もびっくりである。

この映画はこうしたエロティックな要素がとても多い。ヒロインと結婚相手の初夜の場面。彼女が始めて男性の裸を見てする行動などはとくにユニークかつ官能的だ。

コレラの時代〜というタイトルながら、コレラという病気が本筋に絡むことはない。主人公の恋のビョーキの救いようのなさは、それに匹敵するが。

好きなものは、待てば待つほど美味しい。ただ、待ちすぎて腐ってしまったものはどうなのか。ジュクジュクいってる果物を、あなたはそれでも喜んで食べられるだろうか。53年7ヶ月と10日、ひたすら恋焦がれ続けた女性との行為は、はたしてどんな味わいなのだろう。



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