『悲しみが乾くまで』85点(100点満点中)
Things We Lost In The Fire 3月29日(土)より、恵比寿ガーデンシネマ、シネカノン有楽町一丁目ほか全国ロードショー 2007年/アメリカ/119分/配給:角川映画・角川エンタテインメント

ハル・ベリー&ベニチオ・デル・トロを圧倒する才能

『悲しみが乾くまで』に主演するハル・ベリーとベニチオ・デル・トロは、ともにオスカー受賞経験がある実力者で、その演技力に死角はない。だが、それでも本作は彼らがかすむほどに、別のある人物の圧倒的な才能を感じさせる。

オードリー(ハル・ベリー)の幸せな生活は、ある日夫が殺されて一変する。葬儀当日、夫の親友ジェリー(ベニチオ・デル・トロ)と久々に再会した彼女は、彼が相変わらずドラッグ中毒の後遺症により、廃人同様の暮らしをしている事を知る。これまでジェリーを快く思っていなかったオードリーだが、子供たちが彼になつくのを見て、空き部屋に越してこないかと提案する。

夫の死後、その親友と同居をはじめる女の物語。かといって、その二人が恋をする類の馬鹿げた話ではなく、深く傷ついた二人の人間がそれぞれ再生するまでの浮き沈みを、真摯かつ丹念に描く本格的な人間ドラマ。

二人の役者は、人気実力ともにトップスターで、その共演は大きな話題。実際、役作りと演技にも非の打ち所がない。

しかし、それ以上に印象深いのがデンマーク出身のスサンネ・ビア監督の手腕だ。

たとえば、おそらくこの話でもっとも困難な「ヒロインは、なぜ大嫌いだった夫のヤク中の親友と同居する気になったのか」という部分の処理。これをこの監督は、いとも簡単にクリヤーする。

まず、ジェリーは葬儀にやってくるが、その服装はストライプ×ストライプの頓珍漢なスーツスタイル。おまけにサイズも合っていない。着慣れていないよほどの事情があるんだよと、監督はここで観客にさりげなく伝えている。当然、会場内でジェリーは浮き気味なのだが、ここで彼と接触する気の良い隣人および子供たちの反応を通して、このキャラクターの好感度を一気に上げてしまう。

こうした下ごしらえをした後に、"60ドルに関するあるエピソード"を最後の引き金として重ねることで、ヒロインとジェリーとの長年の確執をわずかな時間で消し去ってしまう。この一連の説得力には、思わずうならされた。

上記のように、服装や美術を含めた画面使い、役者の演技力の引き出し方、ストーリーテリングのすべてにおいて、スザンネ・ビアは最上級といっていいほどに上手い。おそらく、芸達者の二人が出演せずとも、つまりこの作品がハリウッド以外で、相当な低予算で作られたとしても、同品質のものが出来上がるに違いない。その意味では、監督の圧倒的才能、パワーのみが際立つ映画ともいえる。

二人の登場人物が、安直一直線に癒しに向かうこともない。ハル・ベリーのキャラクターはきわめて思いやりに満ちた優しい人物として描かれるが、子供の水泳のエピソードで明らかになるように、映画の後半に至っても心傷はいえていない。冷静で穏やかなデル・トロにしても同様だ。

だが、徐々に立ち直る二人の行く末については、それぞれの周辺に幸福を予感させる人物を配することで、希望に満ちたそれを間接的に提示する。この絶妙なさじ加減が心憎い。

私がもっとも気に入っている場面は、生前の夫とジェリーがダイナーで話をする場面。ここでジェリーは場違いともいうべき金利、経済についての話題を親友に振る。男の友情というものを、これ以上なく的確に表現した、あまりに美しい名場面である。女流監督がここまで男の心を描くことができるとは、その人間観察力には脱帽だ。



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