『ALWAYS 続・三丁目の夕日』70点(100点満点中)
2007年11月3日(祝・土)全国東宝系ロードショー 2007年/日本/カラー/146分/配給:東宝

昭和しあわせ博物館・第二幕

日々進歩するVFX。多くの映画監督はこれを未来世界など、見たことがないものを描くために使おうと考える。やがて一部の人々は、実在した過去を映像化するためにこそ、役に立つ技術だと気づく。しかしこのテクノロジーの専門家である山崎貴監督は、さらに一歩進んで、「どうせならその映像を最大のウリにしよう」と考えた。

その狙いは前作の大ヒットという形で大当たりした。当然である。それこそが、過去を舞台にした映画が本来あるべき姿だからだ。映画でなければ決して出来ない、丁寧に作られた、あるいは集められた調度品。広い撮影所いっぱいに立てられたオープンセット。美術スタッフの職人芸が遺憾なく発揮されたそういうものが、かつては映画館に行く楽しみの一つだった。

ストーリーやキャラクターではなく、背景でお客さんをうならせる事ができるということ。多くの映画人が忘れつつあった、あるいはあきらめていた事を山崎監督は最新の映像技術によってやり遂げた。高く評価すべきと私は考えている。

このパート2は前作から4ヵ月後、夕日町三丁目でつつましく暮らす登場人物たちのその後を描く。貧しくも、淳之介(須賀健太)と幸せに暮らし始めた茶川I(吉岡秀隆)のもとに、再び大金持ちの父親(小日向文世)が尋ねてくる。賢い淳之介に見合った教育を与えたいという父の願いに、茶川は自分の無力を思い知る。人並みの暮らしをさせられないなら父親のもとへ戻すと約束した彼は、芥川賞の受賞にすべてを賭け、新作小説の執筆に取り掛かる。

この映画が描く過去は、およそ50代以上の人々の心に残る「古きよき東京」そのもの。まあ、実際の昭和30年代の下町なんてのはもっと薄汚いもので、子供らだってこんな無邪気なヤツばかりではなかったに違いない。堀北真希は美少女すぎるし、小雪みたいなプロポーションのストリッパーなんぞいるはずもない。

だがしかし、「美化された思い出」の映像化ならば、このくらいでちょうどいい。おじさんたちの初恋の相手は、今思い出せば堀北以上にかわいかったし、初めてロック座で見た女の子はこれくらいナイスバディだったのだ。脳内で50年もたてば、ドンチャックが堀北真希に変わったっておかしくない。それくらいは許してあげるべきであろう。

なんといってもこの映画は「昭和しあわせ博物館」なのだから、嫌な部分、汚いものは慎重に取り除かれている。誰もがおぼろげに覚えている「美しい昭和の思い出」をていねいに集めて再現した、愛すべき映像作品というわけだ。観客は、本当なら二度と見られずに墓場にいくほかなかった子供時代の懐かしい風景を、この映画のおかげで実際に見ることが出来る。彼らはスクリーンを眺めながら、心の引き出しの一番奥にしまっておいた大切な記憶に再会し、涙するのだ。

そうした観客の頭の中に存在する、ある種の世界観を壊さぬため、ストーリーやキャラクターにも「異物・危険物」は一切ない。ごく普通の心温まる人情ドラマとして、号泣ラストまでまっすぐにレールが敷かれている。

ただし山崎監督は、持ち前のいたずら心であっと驚かせる仕掛けを冒頭部に用意している。『三丁目の夕日』がたんなる退屈なほのぼのドラマと思っている人々は、ここでうれしい誤算を味わうことになろう。

山崎監督がこのシリーズで掘り当てたのは、時代と場所を変えればいくらでも成果を得られる鉱脈だ。ただの二番煎じではない、発展型のフォロアーの登場を切に願う。



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