『クワイエットルームにようこそ』75点(100点満点中)
2007年10月20日より、シネマライズほか全国ロードショー 2007年/日本/118分/配給:アスミック・エース

松尾スズキ監督の非情さが炸裂する怖い映画

女優は、私生活が波乱万丈なほど芸に深みが出るなどといわれる。もしそれが真実ならば、結婚生活で心身ともに苦労したといわれる内田有紀は、今の若手女優の中では今後の成長が見込まれる一人であろう。結婚引退後、離婚を経て復帰後初の主演作となるこの『クワイエットルームにようこそ』は、彼女のおそるべき演技力によって傑作として花開いた。

独身のフリーライター(内田有紀)は、人間関係や締め切りのストレスから、わずか数百文字の原稿が書けず行き詰っていた。やがて目覚めるとそこは一面、白い部屋。おまけに身体は完全に拘束されている。どうやら彼女は発作的に睡眠薬を大量摂取し、この精神病院の隔離病棟"クワイエットルーム"に入院させられたらしい。そこには常軌を逸した患者たちが大勢いたが、病院が定める規則のため、締め切りを抱えた彼女でさえも簡単には退院できないという。

ろくでもない他の患者たちとの交流の中で、ヒロインが自分の身におきた事を見つめなおす物語は、ほとんど病院のワンフロアのみで展開する。本業が舞台演出の松尾スズキ監督(原作も担当)にとって、物理的に限られたこうした空間設定はまさに得意とするところ。逆に言えば、舞台と映画の演出の違いによるボロが出にくい、うまいストーリーといえる。

そもそも狭い平面上で世界観を確立させねばならない舞台演劇と、前後の奥行きとスクリーン外にそれを広げねばならぬ映画の演出は似て非なるものであり、演劇出身の監督の多くが最初にぶつかる壁といえる。しかしこの作品は最初からその難関はパスされている。それどころか、むしろ病院外の世界を意識させない、すなわち「世界観をワンフロアのみに凝縮する」という通常の逆の演出が求められるために、監督の素性、経験が大いにプラスに働いた。『恋の門』(これもなかなかの作品だった)に続く長編2作目ながら、映画としての出来栄えは段違いである。

冒頭に大きな謎を配置し、そこから発生する違和感で観客の興味を引っ張りながら、徐々に種明かしをしていく構成。ヒロインも観客もこうだと思い込んでいたものが、ガラガラと音を立てて崩れ行く後半の展開は、大きなショックをこちらに与える。

それにしても、この作品はとてつもなく恐ろしい。その理由は、意図的に挿入されたスラップスティックなギャグを、何の気なしにケラケラ笑っていた人々を、終盤で突き落としてしまう監督の容赦のなさにある。劇中でヒロインにインタビューされる芸人が何気なく語る言葉は、じつはこの作品の核心を突いている。

それにしても松尾監督の非情さは半端じゃない。そもそもこのヒロインに内田有紀をあてた事がひどすぎる。タレントとしての彼女が持つ、不幸な女のイメージを最大限に利用しているあたり、もう悪魔的というほかない(つまりハマり役ということ)。だがしかし、これぞ本物のプロフェッショナルの仕事だ。

それに完璧に応えた内田の意欲も手放しで褒め称えたい。こんなダークな役を受ければCMの依頼だって来なくなりそうなものだが、久々の主演映画にふさわしい、そしていまや本格的な女優になったとアピールするに十分な、勇気ある演技であった。なお個人的には、彼女が服を脱いだシーンの、いまだ健在なナイスバディに感激した次第。ボーイッシュなカラダは、とても30代とは思えない。まあ、そんな事はどうでもいい。

いずれにせよ、『クワイエットルームにようこそ』は一見ユーモラスな精神病院群像コメディでありながら、実のところセットの細部ま でこだわり抜いたリアルな人間ドラマ。笑いで開かれた観客の心に強烈な一撃を加える、とにかく怖い映画である。そしてその怖さとは、つまるところ人間の心に潜む闇の部分、表面に出てきてほしくないものの重さそのものといえる。単に楽しい映画ではなく、真摯に人間と向き合った作品を見たい人にオススメする。



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