『デス・プルーフ in グラインドハウス』70点(100点満点中)
Quentin Tarantino's Death Proof 2007年9月1日、みゆき座系ほか全国順次ロードショー 2007年/アメリカ/113分/配給・宣伝:ブロードメディア・スタジオ

70年代B級アクション映画のレプリカ

米国と、日本でも先月六本木ヒルズで公開されたイベント上映『グラインドハウス』は、B級映画マニアとしてのクエンティン・タランティーノ(およびその仲間たち)らしい、遊び心に富んだ企画だった。

"グラインドハウス"とは、アクションやバイオレンス、セックスの要素を盛り込んだ安っぽいB級映画を2〜3本立てで短期間公開する興行形態の映画館のこと。今ではほぼ全滅したが、日本にもかつては町にひとつくらいそんな映画館があった。ゴミひとつ落ちていない、総入れ替え制の綺麗なシネコン世代には想像できないかも知れないが、やたらと映画に詳しいオジサンたちの中には、こういう所で映画に親しんだ人が多い。

タランティーノももちろんその一人で、彼はあの独特のいかがわしさ、面白さを若い映画ファンにも知ってもらおうとこれを企画した。盟友ロバート・ロドリゲスにもその魅力を語って聞かせ、真っ先に引き込んだという。そして二人で長編を一本ずつ持ち寄り、間に架空の予告編(これも名だたる個性派監督が担当)を4本挟み、2本立てとして公開した。

今回全国公開される『デス・プルーフ in グラインドハウス』は、そのうちタランティーノが監督したものを、ディレクターズカットとしてやや長めに再編集したもの。1本立て公開は当初の企画意図から外れてしまうような気がしないでもないが、わざとキズだらけのフィルムのように演出するなど、気分だけは"グラインドハウス"を味わえるようになっている。

テキサス州のローカルDJジュリア(シドニー・ターミア・ポワチエ)が女友達らとバーで大騒ぎしていると、『バニシング・ポイント』を地でいくような改造ダッジに乗った男(カート・ラッセル)が話しかけてきた。だが一人の女の子が気を許しその車に乗り込むと、男は凶暴なサディストに豹変するのだった。

この作品の魅力は「(女の子たちの)ダラダラした会話と、暴力&グロ満載なカーチェイス」の二点に集約される。むろん、そこかしこに"グラインドハウス"的な映画の引用をちりばめるのはいつも通り、きわめてタランティーノらしい映画だから、彼のファンなら高く評価するに違いない。

映画はヘンタイ殺人カーマニアが美少女をいじめまくる前半と、女の子たちの猛反撃たる後半に分けられる。どちらもぶっ飛んだ馬鹿っぷりが楽しい。美少女のあまりに無様な死に方など、監督はイケてる女の子に何か恨みでもあるのかと思うほどだ。

本作は言ってみれば、70年代B級アクション映画のレプリカ(ケータイを使う場面なんかも平気で出てきたりする)だからフィルムは古っぽい雰囲気になっていたりする。……が、それを利用して観客に驚きを与えたりするんだから、この監督はテクニシャンだ。

たとえば後半のヒロインが爆走する車のボンネット上で繰り広げる長時間のスタントなどは、おそらく命綱のワイヤーをCGで消しているに違いないが、普通の観客はそんなことは思いもよらず、ハラハラドキドキするはず。これは、執拗なまでにチープな印象を与え続けたそこまでの演出が功を奏した結果だ。

つまり、最新の撮影技術とそれなりの予算を使っているにもかかわらず、安っぽくて古臭い映画と観客が半ば誤解しているため、この場面の迫真性が高まっているのだ。

余談だがこのアクションシーンを演じたゾーイ・ベルという女優、『キル・ビル』でユマ・サーマンを担当したスタントマンだそうだ。確かに体型も外見もよく似ている。女性らしい柔らかい身のこなしはまるで猫のよう。

前半のダラダラ会話でタラファンをニヤリとさせ、グロシーンでショックを与え、後半の本格カーアクションでうならせる。そしてラストは色々な意味で大爆笑。エンドロール時も含めた音楽が最高で、カーチェイスのスピード感も抜群。とにかく痛快な映画だ。

ただ、ディレクターズカットがまずかったのか、全体的に冗長な感じ。見ていないのでなんともいえないが、2本立て用の短いバージョンの方が良かったのではないかと想像する。

"グラインドハウス"を知らない世代に魅力を伝えるというよりは、知っている世代に懐かしんでもらう方が適していると私は思う。地上波の映画放送なら木曜洋画劇場が一番好き、というような人にすすめておきたい。



連絡は前田有一(webmaster@maeda-y.com 映画批評家)まで
©2003 by Yuichi Maeda. All rights reserved.