『プロヴァンスの贈りもの』50点(100点満点中)
A GOOD YEAR 2007年8月4日、新宿ガーデンシネマほか全国ロードショー 2006年/アメリカ/118分/配給・宣伝:角川映画

ロハスピープルに贈るロマンティックコメディ

若いときに目いっぱい働いて、早期リタイヤを目指すアメリカのパワーエリートのような生き方にあこがれている人が、最近この国でも増えている。そんな人にとって『プロヴァンスの贈りもの』は、さらにモチベーションを引き出す源になるであろう。

日々億単位のカネを動かすロンドンの敏腕トレーダー、マックス(ラッセル・クロウ)の元に、少年時代なついていたヘンリーおじさん(アルバート・フィニー)の訃報が届く。唯一の近親者ということで、マックスはヘンリーが手塩にかけたぶどう園を相続することに。しかしカネしか興味のない彼は、さっさと売り払う事を決めてしまう。

その手続きのため向かったプロヴァンスの田舎町で出会う人情味ある人々、そしてスタイル抜群フランス娘(マリオン・コティヤール)との恋。やがて少年時代の懐かしい思い出がマックスの頭によみがえり、彼は殺伐とした都会暮らしで失ってしまった人間としての心を取り戻す、そんな良くあるお話だ。

生き馬の目を抜く業界でトップをひた走る大金持ちのパワーエリートが、田舎の庶民娘と恋をする。出会いはサイアク、最初は反発しあうがやがてラブラブに。日本の秋葉原でツンデレと呼ばれるこのパターンは、古くからあるロマンティックコメディのテンプレートそのもの。

金持ちと貧乏人の恋などという、現実ではあまりありそうにないパターンも、ロマコメではほとんどデフォルト設定。登場人物がなぜかまったくカネに困らないというのは、映画を見ている間、"生活"を忘れたい奥様たちにとっては必須条件である。ロマコメとは、普段は旦那さまの安月給のやりくりに知恵を絞っている彼女らを癒すための映画なのだから、これは大いなる正義だ。

そこで問題は、その設定に没頭できるだけの、つまりは違和感なくそれを見られる説得力があるかどうかだが、その点この映画は弱い。

経済的に見て住む世界の違う二人、しかも英国人とフランス人という、欧州における永遠のライバル国を象徴するキャラクター同士が熱愛に落ちるだけの必然性というものが、この映画には何もない。あんなに純粋だったマックスが、なぜホリエモンになってしまったのかの理由もわからない。

何がしかの伏線を用意することもないし、このタイプの映画の系譜に連なる『ローマの休日』のヘップバーンや『ノッティングヒルの恋人』のジュリア・ロバーツのように、笑顔ひとつで観客を納得させるだけのオーラを持つスターも不在。無論、ラッセル・クロウはオスカー俳優だし、マリオン・コティヤール(『TAXI』シリーズにおける主人公の恋人役)は可愛らしいが、どちらも線が細い。

また、本作の監督(『エイリアン』『ブレードランナー』等のリドリー・スコット)と原作者のピーター・メイルが、おそらくプロヴァンスを好きで好きでたまらないという事も、逆にこの映画のテーマに説得力が薄い理由のひとつではないかと私は推測する。田舎暮らし、スローライフの魅力には誰であろうとイチコロなのだという、ほとんど信仰ともいうべき盲目的な思い込みこそが、脚本のキレを鈍らせたのだ。

プロヴァンス在住のピーター・メイルはロハス(環境&健康を重視する生活スタイル)を実践するいわゆるLOHASピープルで、リドリー・スコットとは30年来の友人。同じくプロヴァンスに別荘を構える監督との企画をもとにこの原作を書き、約束どおりスコットが映画化した。二人は自分たちの大好きなものを、フィルムに焼き付けたという事だ。

そんなわけで『プロヴァンスの贈りもの』は、彼らと似た価値観の人、たとえば冒頭に書いたような考えの人にとっては文句なしの幸せ気分で、あるいはうらやましい気分で鑑賞することができるが、そうでない人を引き込むパワーはない。はたして自分はどちらなのか、よく考えてから鑑賞を決めれば失敗はしないだろう。



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