『レディ・イン・ザ・ウォーター』5点(100点満点中)

これはいかんともしがたい

『レディ・イン・ザ・ウォーター』は、傑作『シックス・センス』のM・ナイト・シャマラン監督の最新作だ。オリジナル脚本にこだわるこの監督に人々が期待するものは、なんと言っても独創的なストーリー。こちらをあっといわせる結末や、意外な展開といったものだろう。元ネタがあるとか、オカルト的な要素を臆面もなく使う事に対する批判もあるが、自作に必ず何がしかの仕掛けを施す意欲は、常に次回作を期待される大きな理由だ。

アパートの管理人(ポール・ジアマッティ)は、中庭のプールの中から、ストーリーと名乗る美しい女性(ブライス・ダラス・ハワード)を発見する。すぐに自室へ保護した管理人は、彼女があるおとぎ話に登場する水の精霊ではないかと考えはじめる。裏の森に住む恐ろしい怪物から逃げてきたと語る彼女のため、彼はアパートの住人らと協力して、彼女をもとの世界に戻そうと奔走する。

この物語は、シャマラン監督が幼い息子のため、毎夜即興で聞かせたお話が原型となっている。たしかに、ベッドタイムストーリーとしては一流だ。見ているとすぐに眠くなる。

まさに、その場の思いつきをツギハギしたような脚本で、シャマラン作品の中ではダントツに悪い。これまでの彼の作品の悪いところ(オカルト好き、非現実的なものを平気で取り入れる空気の読めなさ)が全部出て、いいところ(客の度肝を抜く意外性)が一つもないという、どうしようもない作品だ。

思いつきストーリーだから伏線も仕掛けられず、登場人物はありえない応対ばかりを平気で見せる。だいたい、真夜中のプールで裸で泳いでいる女をみつけて、なぜ水の精などというとっぴな発想がでてくるのか。しかも、なぜそれをアパートの住民までもが普通に信じてしまうのか。理解に苦しむ。映画としては、この部分に何がしかの説得力ある説明をつけなければ、ファンタジーとしても成立しないではないか。

アパートの誰が、重要な役割を担う伝説の人物なのか、そういう謎にしても、アミダで適当に決めたようないいかげんさで、まったく驚きがない。

いやはや、この監督の劣化ぶりは目に余る。これはつまり、『シックス・センス』だけが何かの間違いで奇跡的に傑作になったということなのか。同じ人が作ったものとは、どうしても思えない。次回は奇跡の再現を心より求む。



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