『幸せのポートレート』85点(100点満点中)

本物の感動ドラマ、変人はいかにして変人になるのか

『幸せのポートレート』は、素晴らしい映画なのだが、何気なく見るとその良さがわかりにくい。しかし私は、この作品を見て号泣するほど感動したし、同時にこれに感動する心が残っていて本当によかったと思った。汚れたこの心にも、まだ一寸のピュアな部分があったというわけだ。

海外ドラマ『SEX and the CITY セックス・アンド・ザ・シティ』でブレイクしたサラ・ジェシカ・パーカーが演じる主人公は、NYで活躍するキャリアウーマン。このたびめでたく結婚が決まり、その相手の実家へ挨拶に行くところだ。ところが彼の家族は、彼女の想像を越えるトンデモ一家。自由奔放で、家族内に隠し事はゼロ。距離を取って適度につきあうという、都会的な彼女のやり方は一瞬で見抜かれ、軽蔑され、家族皆から総すかんを食らう。

気の強いヒロインも、度を越えたこの家族のやり方には反発し、徐々に衝突を隠せなくなる。さて、この結婚の行方はいかに。

『幸せのポートレート』は、一見よくある保守対リベラルの対立もの、あるいは「個性が強すぎる人物に苦労する一般人」を描く作品、たとえば『ミート・ザ・ペアレンツ』とか『ダーマ&グレッグ』といった、定番のコメディと同じように見える。しかし、それらの対立要素を単なる記号として扱い、主人公側とのギャップを利用して笑わせたこれまでの作品群と本作は、まったく異なっている。

その理由の最大のものは、この映画が、この一家の異様なまでの排他性、なぜここまでラジカルなリベラル主義者になってしまったのか、その理由をしっかりと描いているという点にある。いわゆるロマコメ的な予定調和を崩してまで、これを逃げずに描いた事について、私は高く評価する。

この映画は、ヒロインの性格も悪いし、かといって家族も非常識だから、観客は冒頭、どこにも感情移入できず、不安な気持ちで物語を見ざるを得ない。ところがそれは、本作が欠陥ロマコメだからではなく、じつは完全に計算された演出である。つまり、観客は無意識のうちに、この家族たちを遠くから眺める「世間」というものの視点に立たされているのだ。

そしてヒロイン同様、この家族の秘密を少しずつ知ることにより、隠されたこの一家のドラマ、歩んできた苦難を共有することになる。このプロセスを経ないと、最後のヒロインの選択の意味がきちんと理解できないし、その感動も味わえない。

非常にひねりの効いた、深みある映画作品であり、そんじょそこらの薄っぺらいお涙頂戴ラブコメとは違う。『幸せのポートレート』には本物の感動が隠されており、それは少しだけ、頭を使わないとわからない。

そんなわけで予告編も、どうダイジェストしていいのか迷いが見られ、出来がいまいちだが、チャレンジ精神ある方は、どうか真剣にこの作品を味わってほしいと思う。サラリと見たい映画を探している人には不向きなので、そういう方は『ラブ★コン』の方をどうぞ。



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