『嫌われ松子の一生』50点(100点満点中)

題材が中島監督のタッチに合わない

以前、このページで『下妻物語』を紹介したとき私は、「これこそ、このページを信頼してくれる読者の方にずっと見てほしいと私が考えていた日本映画の形だ」と書き、絶賛した。その監督、中島哲也(なかしまてつや)の最新作が、この山田宗樹の同名小説の映画化『嫌われ松子の一生』だ。

内容は、タイトルどおり松子(中谷美紀)という風変わりな女の一生を描くもの。この女性が何者かに殺害されたというところから話が始まる。彼女はゴミ屋敷のようなアパートに住んでおり、周囲との交渉もほぼゼロ。引きこもりで、不健康に太った不気味な女として登場する。

彼女が殺された原因は何なのか、どんな一生を送っていたのか、それを、残された親類の少年が回想するという展開になる。

映像は、視覚効果に強い中島監督らしく、原色を鮮やかに使ったポップかつ現代的なもの。松子視点の世界はミュージカルシーンとして表現され、中谷美紀が明るく楽しく歌い、踊る。ファンタジックな映像美は、さすが非凡なものを感じさせる。

この、数々のミュージカルシーンは、松子の人生を彩る各エピソードを、数分間の曲に凝縮して一気に語る「時間節約」の効果と、典型的な転落人生の「悲壮感を一掃」する効果を狙ったものであろうと思われる。

たとえば、松子がヒモのためにソープ嬢となり体を売るエピソードも、BONNIE PINKの明るい曲に乗せた2分間の踊りにしてしまえば、暗さはまったくない。このような手法を使い、松子の悲惨な人生を中島監督は描くのである。

男を見る眼がないために、ろくでもない人生を送った松子を、中谷美紀が立派に熱演。おかげでこのヒロインを、「バカだったかもしれないが、純粋に愛を求め続けた愛すべき女」として、観客の共感を得るだけのキャラクターに昇華させている。松子の魅力を描くという中島監督の狙いは、見事に実現したと思う。

ただし、ひとつ注意すべきポイントがある。それは、『下妻物語』の監督による最新作として期待している人にとって、この『嫌われ松子の一生』はあまり満足が行くものではないだろう、という点だ。

『下妻物語』があれだけ支持を集めた理由は、ヤンキー娘とロリータ娘というユニークなキャラクターを使いながらも、根底となるストーリーは非常にベーシックな青春ものだったという点。そして、田舎を舞台にしながらも、ユーモアや映像のセンスが(世界的に見ても)良いものだったという点に尽きる。

それに比べ『嫌われ松子の一生』は、キャラクターの特異性は同じでも、下敷きとなるストーリーまでかなりアクが強い。相変わらず映像のセンスは良いし、ユーモアもあるが、そもそも話に救いがなく、暗すぎる。中島監督のタッチには似合わないという印象が強い。

つまり、今回中島監督は、観客がいまの彼に求めているものとは、かなりズレた題材を選んでしまったのではないかというのが、私の結論だ。

要するに、出来のよさうんぬんを言う前に、題材との相性が悪かった。実力は証明されているだけに、次回はその点を慎重にしてもらいたいと思う。



連絡は前田有一(webmaster@maeda-y.com 映画批評家)まで
©2003 by Yuichi Maeda. All rights reserved.