『南極物語』35点(100点満点中)

犬たちが上手すぎて泣けない

フジテレビ製作の大作日本映画『南極物語』(83年)は、邦画の興行記録を次々塗り替えた大ヒット作品となった。あれから23年ほど経った今、なんとハリウッドがリメイク、ディズニー映画として、日本でも公開される運びとなった。

舞台は氷に包まれた南極基地。主人公のジェリー(ポール・ウォーカー)ほか、調査隊のメンバーは、忠実な8頭の犬による犬ぞりを駆使して、日々の業務をこなしている。ある年、厳しい冬を前に無理をしてギリギリまで調査活動を行った結果、急激な天候悪化に見舞われ、やむなく犬を残して緊急退去する事になった。しかも、天候は回復せず、結局春まで犬たちを放置する事になってしまうのだった。

リメイクということで、置き去りにされた犬が、壮絶な南極の冬をサバイバルする展開や、春に戻ってくる人間たちと再会できるのかどうか? という展開も日本版と同じ。設定が、日本人&カラフト犬からアメリカ人&ハスキー犬その他へ変更となったが、大自然における動物アドベンチャーである点や、犬と人間の友情感動ドラマに仕立ててある点は同じだ。また、これはあくまでディズニー映画であるから、その味付けも推して知るべし。具体的にいうと、アメリカ版南極物語は、お犬様大好きな人々に、映画館で泣いてもらうための作風となっている。

彼らはその目的のため、演技力満点の役者犬や、決してでしゃばらずに脇を固めるという「自分らの仕事をわきまえた」人間の俳優たち、壮大な自然を収めたカメラ、スペクタクルを演出するVFX技術などを総動員。結果、動物映画としては文句のない完成度のものが出来上がった。

しかし、はっきり言って、出来栄えが完璧に近づけば近づくほど、犬の演技がうまければうまいほど、こちらは冷めてしまう。ディズニー映画とは、いかに大人の我々をも上手に騙し、ファンタジーの世界につれていってくれるかが最大のキモで、それは大抵成功しているのだが、こと動物、犬に関しては、そう簡単にはいかない。やはり犬は正直だ。観客は人間の演技には騙されても、犬の演技には騙されない。犬が驚くべきシーンを演じているのを目にすればするほど、撮影時の犬のつらそうな姿が脳裏に浮かび、こういう事は倫理的にどうなのかね……、というよけいな考えがよぎる。そして、そのたびに現実に引き戻されてしまうのである。こうした事を考えず、能天気に楽しめるタイプの人であれば問題はないが。

またこの映画、登場人物がどうにもよろしくない。ひらたく言うと、この映画に出てくる連中は、偽善者と人でなしばかりなのである。

たとえば、ヘリコプターの操縦担当の女。こいつがちょっと無理をして、さっさと戻って犬をつれてくれば、置き去りにせずにすんだという役回りだ。ところがこの女ときたら、犬を置き去りにした罪悪感と焦りに悩んでいる主人公に対して、偽善くさい顔をして「仕方ないわよ、あまり気にしちゃだめ、もう忘れなさい」などとのたまう。そりゃ確かに正論だが、お前がいうな、と誰もが内心突っ込む一幕だ。

命まで助けてくれた犬たちを、本気で心配しているのは主人公ひとり。その他のとりまきは、どうみても人でなしな態度をとっているくせに、金の都合がついたとたん、ニコニコやってきて南極に戻ろうなどと言っている。単純に大喜びしている主人公の男を見ていると、なんだかよってたかって騙されているようで忍びない。また、終盤に用意された、いかにもな泣きどころ(犬関連)もあざとすぎる。

『南極物語』は、上映中、楽しく飽きずに見られる一本であることには違いないが、終わってみれば突っ込みどころ満載という、そういうタイプの作品だ。この映画で泣けるのは、ディズニーファンタジーにひたるモードへのスイッチが、よほど入りやすい人のみであろう。



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