『マンダレイ』90点(100点満点中)

前作より単純明快、ぜひ『ドッグヴィル』を見たあとに

『マンダレイ』は、あの斬新な佳作『ドッグヴィル』の続編だ。ちなみに『ドッグヴィル』最大の特徴は、床に白線を引いただけで壁も屋根も無い、だだっ広い体育館のような場所をひとつの村に見立て、そのセット内のみで3時間の映画を作りあげた点。役者たちがパントマイムで玄関のドアを開けると、キィとドアがきしむ効果音が挿入される。じつに斬新な演出の映画であった。

この『マンダレイ』も、まったく同じ手法で、ヒロインも同じ(ただし演じる女優は変更された)。彼女が別の場所(マンダレイという名の農園)で、別のドラマを繰り広げるPART2だ。

ときは1933年のアメリカ。ドッグヴィルを出たグレース(ブライス・ダラス・ハワード)は、ギャングのボスである父らと共に、南部のマンダレイという農園にたどりつく。そこはなんと、いまだに白人による黒人奴隷制が続く、驚くべき土地だった。正義感にかられたグレースは、父の部下のギャングたちの実力行使によりすぐに黒人奴隷を解放、父の反対を無視して民主的なルールをマンダレイに広めようとするが……。

『マンダレイ』は『ドッグヴィル』同様、その根底に強烈なある種の信念を感じさせる、社会派劇である。普通のドラマ映画と思っていると、簡単にノックアウトされるほどの衝撃と、斬新さに満ちている。

見る人により、幾通りも解釈できる『ドッグヴィル』に比べ、『マンダレイ』では批判対象が明確になった。すなわち本作は、保守政党のブッシュ大統領らを批判する映画であり、同時に現実性のない政策を打ち立てるリベラリストたちを批判する映画でもある。とてもブラックなユーモアと皮肉がこめられた作品で、高く評価したい。

純粋で自由と民主主義を信じる美しきヒロイン(文句ナシの善人として登場する)は、ドッグヴィルで「権力の有効性」を学んだ分、この2作目ではわずかに成長している。そして農園マンダレイの奴隷制度を撤廃するため、冒頭で早速武力を使って「悪」を制圧する。その後はいよいよ奴隷たちに民主主義をひろめていくわけだが、ここからが苦難の連続である。このあたり、短期間で軍事的勝利を収めたものの、民主化の過程で苦戦する、アメリカ-イラク情勢をそっくりなぞったプロットにもみえる。

この前半、多くのアメリカ人(および彼らの主張を肯定する人たち)は何の疑問も無くグレースの行動を見守るはずだ。ところが、上手くいくはずのグレースの好意はことごとく裏目に出て、元奴隷たちはどんどん不幸になっていく。この展開をみて、先ほどの観客たちは徐々に青ざめていくだろう。自分たちの信じていたものがガラガラとあっけなく崩れる衝撃である。

圧倒的パワーにより自由と民主主義を広めるやり方が、なぜ間違っているのか。どういう悲劇を生むのか。なんとなく本能的に察知している人々は多いが、ここまで具体的に、論理的にみせつけてもらえると爽快であろう。もやもやが晴れる感覚である。

いまどき、アメリカのそうしたやり方(民主主義を広めれば世界は幸せになる)を心から信じている人など、アメリカ人の一部くらいだと私は思っているが、そうした人々がこれをみたら、激怒するかショックを受けるかどちらかだ。いずれにせよ、こうした映画の存在は貴重である。

ちなみにラース・フォン・トリアー監督は、「ブッシュ大統領らは心底自分たちの行動の正義と、好結果を信じてやっているはず」と語っているが、私はその点だけは反対だ。あれは選挙民向けの表向きの理由にすぎまい。教養ある米国人が、本気で民主主義マンセー理論を信じているとは、私にはどうしても思えない。というか、信じていたらあまりに怖い。

ヒロインのグレースは、この2作目でさらにあることを学び、成長する。予定されている完結編『ワシントン』では、さらなる深いテーマが語られることだろう。非常に楽しみで、いまから待ち遠しい。

ちなみに、ニコール・キッドマンからこの役を受け継いだブライス・ダラス・ハワードは、まだまだ無名に近い存在だが、脱ぎっぷりも過激なシーンの演技も落ち着いていて、大物を予感させる。若くてかわいらしい顔つきは、新しいグレース像としてとてもよい。

まとめとして、『マンダレイ』は映画としての完成度、語るテーマの面白さ、そして説得力のどれもが高いレベルで融合した傑作といえる。「最近、平凡な映画ばっかりだなー」と思っている人にこそすすめたい、オススメの一本だ。



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