『シリアナ』60点(100点満点中)

社会派映画ではなく歴史映画

冷戦終了後、最大の敵国を失ったアメリカの中央情報局(CIA)は、自らのアイデンティティーをも失いつつあった。衛星等からのシギント(電子情報)に頼り、ヒューミント(人的情報)を軽視、同時に中央政府との駆け引きのうまい官僚的な人間たちに牛耳られていったこの諜報機関は、9.11米国本土テロを許すほどに、没落していったのだという。

かつてこの組織のエース諜報員として、中東で命がけの任務に就いていたロバート・ベアが、自らの著書『CIAは何をしていた?』で明かす上記のような事実は、全米に衝撃を与えた。その著書をもとに、米国と中東産油国をめぐる、報道の表に出ない泥沼の関係、国際社会にひしめく陰謀を暴くのが、映画『シリアナ』。ハリウッドのリベラル映画俳優たちが、こぞって出演を希望した話題作だ。

ストーリーは非常に複雑で、ボーっとしているとあっという間においていかれる。何人かの機軸となる人物たちがいて、それぞれの物語が並行して進む。

なるべく簡単に説明しよう。すべての中心はアラブ某国のカリスマ的な王子。彼は米国メジャーの不当な支配から脱しようと、マット・デイモン演じるエネルギー専門家らの知恵を借りつつ、徐々に足場を固めている。当然、それを不服に思った米国石油メジャーやその利権に加わる弁護士事務所、そしてCIA(諜報員をジョージ・クルーニーが演じる)らは王子を排除しようとする。暗殺や失脚工作、組織によってその過激度は違うが、中東の石油利権は米国にとって、法を無視した、というより超越した優先事項であることだけは確実。彼らは手段を選ばず、アラブに傀儡政権を打ちたてようとする。

なお、いくつか重要なポイントを解説すると、まず米国における弁護士事務所というのは、企業の使いっ走りのような存在ではない。むしろ陰謀の中心、権力保持者たちの人脈網の起点であり、同時に旗振り役となる重要な存在である。つまり、彼ら自身が多大な権力を持っているという事を、念頭においておくと良い。そこを理解して見ると、この映画の言いたい事が色々とわかってくる。

さらに、パキスタンからの出稼ぎ労働者が、失業による絶望から通い始めるイスラム神学校について。これも重要なファクターだ。というのも、ここで言うイスラム神学校とは、貧しい人民たちに豊かな食事や教育を提供してくれるボランティア組織のようなものでは、決してないからである。貧しい彼らにそうした物資を提供しつつ、過激な原理主義の教義を吹き込む、「テロリスト養成学校」と認識すべきものだ。つまり、このパレスチナ青年の物語パートは、一介の穏やかな若者が、いかにしてテロリストに変貌するかを描いているのだ。

また、「シリアナ」という映画のタイトル(原題と同じ)について。これが天下のワーナーの大作映画でなければ、ちょっと普段とは趣向の違うエッチな内容のお話かしら、などと勘違いしてしまいそうな響きではある。だから、一部では批判(安直な邦題だ、など)もあるようだが、じつは、そうした批判は的外れもいいところなのだ。

シリアナとは、イランとイラク、そしてシリアがひとつの民族国家を形成した場合の想定国家の名前。これは、ある程度中東問題に詳しい人なら誰でも知っている。そしてこの映画は、ここまで解説してわかるとおり、「何も知らないお客さん」を対象にしたお知らせ映画ではなく、このタイトルを見て、「ああなるほどね」と合点がいくレベルの人たちにこそ、劇場にきてもらいたいという作品なのだ。

だから、日本の配給会社が原題どおり『シリアナ』と名づけたのは、非常に誠実なことで、評価すべきポイントなのである。このタイトルを見て、興味をそそられないような人々は、そもそもこの映画の対象ではないという事だ。ほかにいくらでも一般ウケする邦題はつけられたろうに、あえてそれをしなかった担当者は立派だ。

『シリアナ』はそうした性質をもつ映画だから、今までこうした問題を知らなかった人々に、問題点を知らせる効果はほとんどないだろう。まあ、さまざまな書籍やドキュメンタリーなどで、こうした問題は何度も取り上げられているから、そろそろ劇映画界もやりますか、という一種の罪滅ぼしみたいなものか。つまり、世界中に虐殺問題を知らせるべく作られた『ホテル・ルワンダ』とは、コンセプトが180度違う。

『シリアナ』は、今までこの問題を知っていた人が見て、「よくぞやってくれた」と満足するための映画だ。よって、世間に対する影響力はほとんどなかろう。ひらたくいえば「既出ネタ」であり、そうした意味でこれは社会派映画ではなく、すでに歴史映画といえる。



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