『イヌゴエ』90点(100点満点中)

楽しくて心温まる、幸せになれる映画

犬の考えていることが人間の言葉でわかったら、どんなに面白いだろうという妄想は、犬好きなら一度はしたことがあるはずだ。そして、それをそのまま映画にしたのがこの『イヌゴエ』。登場する無愛想なフレンチブルドッグの「心の声」が、主人公に聞こえてくるというのがメインアイデアだ。

この主人公は、臭気判定士(この資格は実在する)として働く青年(山本浩司)。彼は、人間としてはずば抜けた嗅覚を持ち、鋭敏過ぎて普段はマスクをしていないと生活できないほどだった。そんなある日、彼は父親から、拾ったフレンチブルドッグを旅行の間預ってくれと頼まれる。臭いに敏感な彼にとって、犬などとんでもないと断ったが、父は勝手にアパートに犬を置いて出かけてしまった。

ここから彼と犬の共同生活が始まるのだが、この主人公、なんとこの犬の心が「声」として聞こえることに気づく。それも関西弁の無愛想なオッサンの声として。

『イヌゴエ』は、とてもセンスのいい映画だ。この手の動物系ハートウォーミングコメディの多くは、妙に健全な文科省ご推薦チックな内容だったり、子供や動物好きにこびた幼稚な内容だったりするが、これは違う。シンプルで美しい画面と音楽、しっかりと伏線が張られ、破綻なくまとまった脚本、上手な役者の演技、そして、やりすぎない感動的な結末と、大人が見る映画として、大変レベルが高い。

とくに評価したいのは、「あらゆる局面において抑制が効いている」という点で、これは、近年邦画のメジャー作品が、演出その他にこれを欠いたせいで軒並み失敗している事を考えると、特筆すべき点といえる。たとえば、すべての登場人物は、非常に個性が強いが、決して現実離れしてはいない。周りにこういう人、いるよなあと思わせるギリギリのラインで造形している。このさじ加減が、センスが良いという意味なのだ。これが出来ない、世間離れした映画作家がいかに多いことか。

コメディの核となる笑いについても、セリフとその"間"が絶妙で、ハズす事がない。舞台演劇の笑いのセンスをそのままスクリーンに持ち込んで、寒い空気を劇場に蔓延させるメジャー作品の監督たちに、見習ってほしいくらいだ。

犬が人間語を話すといっても、安易に人とコミュニケーションさせなかった点も上手い。「イヌゴエ」に出てくるブルドッグは、勝手に独り言をブツブツ言っているだけで、主人公に媚びもしないし、それどころかこちらの言う事など、全然わかっちゃいない。「犬と人間は言葉がなくともわかりあえてるんだ!」……という飼い主側の勝手な妄想を指摘されているかのようで、とてもおかしい。

犬が話すシーンは、ハリウッドだったらCGで口まで動かすのではないかと想像するが(ああ、センス悪!)、この映画はそういう気持ち悪いことはしない。犬が本当に話しているのか、主人公の勝手な妄想なのか、よくわからないまま話は進む。このように、一見、非リアルな設定を設けてはいるが、荒唐無稽さはまったく感じさせない。このあたり、ファンタジーとしての、バランス感覚がすばらしい。

犬が話すだけじゃ、どうせくだらんストーリーだろうと思うかもしれないが、この点もよく工夫されている。このアイデアをコメディ面に生かすにとどまらず、必然の要素として脚本にガッチリと組み込み、生かしきった。アイデアのための脚本ではなく、脚本のためのアイデアとなっているあたりが見事だ。ミステリ的要素を擁したストーリーは、先が気になって仕方がない。

『イヌゴエ』は、まれにみる出来栄えの傑作日本映画だ。犬を好きな人がみたら、こんなに楽しい映画はない。ドラマもしっかりしており、コメディとしてもバッチリ。子供だましではなく、真面目な大人が楽しめる、質の高い作品として、絶対の自信を持ってオススメする。



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