『春の雪』70点(100点満点中)
竹内結子がもうちょっと思いきってくれれば
三島由紀夫「豊饒の海」4部作の第1巻「春の雪」を、美しい映像作りに定評のある『世界の中心で愛をさけぶ』の行定勲監督が映画化。
時代は大正。侯爵家の嫡男、松枝清顕(妻夫木聡)と伯爵家の令嬢、綾倉聡子(竹内結子)は仲の良い幼馴染だった。そんなある日、聡子に宮家の洞院宮治典王との結婚話が持ち上がる。聡子は密かに清顕を想っていたが、清顕のそっけない態度に失望したのと、伯爵家の窮状を救うためにやむなく承諾する。ところがいざ婚約が決まると、清顕も聡子への深い愛に気づく。二人は密会を重ね愛し合うが、やがてそんな関係にも破滅の日がやってくる。
このベーシックな恋愛物語を、主人公を演じる二人の役者がどこまでピュアに演じきれるかがまず一つのポイントだ。しかし、もともと二人ともそれほど上手い役者ではないし、妻夫木は特にこうした本格的な時代物にはまだ早いかな、と感じさせる。
対する竹内は、作品の重要なポイントである濡れ場がまるっきりダメ。ほかはまあまあ良いのだが、何度も出てくるこうした場面になると、とたんにやる気のなさがプンプン漂ってくる。『春の雪』の主人公ふたりは、決して結ばれぬ運命を、肉体を重ねることで少しでも忘れようとするかの如く激しく求め合う。その激しさが、二人の前に立ちふさがる絶望的なまでの壁の厚さを感じさせる、そういう物語の構図になっているわけで、決してファンサービスのためにとってつけたようなシーンではないのだが。
だいたい、妻夫木は一人裸になってがんばっているのに、なぜ横の竹内だけしっかり着物を着ているのか。これでは監督も演出のしようがないではないか。そこまで物語に没頭していても、この瞬間観客は「人気女優 竹内結子」を否応無しに意識させられる。「ああ、竹内だから周りが遠慮してるのかな」などと、考えなくてもいい余計なことが頭に浮かぶ。こんなにいい映画に出してもらっているのに、こうした中途半端なことをやっている限り、竹内結子に大女優としての未来はあるまい。
映像は、この時代を舞台にした日本映画としては個性的な部類に入る。これは、本作の撮影が、台湾出身のリー・ピンビンであるというところが大きい。この人は普段、香港などアジア映画で活躍する実力派カメラマンで、全米批評家協会賞を受賞した『花様年華』などで知られている。本作の中でも、手持ちで移動していくような動的なカメラワークを使ってみたり、露出や色合いをほんの少し派手目にしたりと、アジア的、オリエンタルな雰囲気を散見することができる。なかなかムードある、いい撮影だ。
あの『セカチュー』の監督ということで心配する向きもあろうが、子供だましのバカバカしい脚色はほとんど見られない。セットや衣装も含め、しっかりと作ってある。
原作同様、心を打つ場面も多々ある。ふすまの陰で嗚咽を漏らすクライマックスなどはもっと強調しても良かった気がするが。なお、同行した評論家の西村幸祐氏は、冒頭の日露戦争の写真を眺める重要なシーンを削ったのはけしからん、と語っていた(彼は原作の熱烈なファン)。
個人的には、ラストのとってつけたような監督独自の解釈と、その次の瞬間に流れる宇多田ヒカルの歌はまったくもって不要であった。作品世界から浮き上がっていて痛々しい。
大正時代は比較的現代に近いから時代のもつ空気感がわかりやすいし、愛の永遠性、普遍性を謳いあげるテーマ、輪廻を感じさせるストーリーはとてもいいと思うのだが、いかんせん先に挙げたいくつかの要素のため、ぶち壊しになりかねない。非常に危ういバランスで成り立っているのがこの作品の特徴といえる。時間も長いし、気楽に見られる映画ではないが、少なくとも原作を好きな方なら、その出来映えを確認しに行く価値はあるだろう。