『ミリオンダラー・ベイビー』70点(100点満点中)

重厚なドラマ、監督と役者の技量に感服

クリント・イーストウッドが主演・監督し、アカデミー賞主要4部門を受賞した話題作。

主人公は元ボクシングチャンピオンの老トレーナー(C・イーストウッド)。彼は親友(モーガン・フリーマン)とともに貧乏なジムを切り盛りしていたが、そこに一人、熱心に練習する若い女性(ヒラリー・スワンク)がいた。しきりに指導を受けたがる彼女に対し、主人公は当初、相手にもしなかったのだが……。

話題作『ミリオンダラー・ベイビー』は、ボクシングを題材にした人間ドラマだ。『ロッキー』のようなスポ根を期待するとガクっとはずされるが、精緻かつリアルな人間描写は見ごたえたっぷりだ。

表面的な物語は、主人公と女ボクサーがやがて世界を目指して駆け上がっていくというサクセスストーリーだ。ハッキリいって、この筋書き自体は3流もいいところ。ボクシングについても少々非現実的な要素が見受けられるし、大して誉めるべき点はない。逆にいえばこの平凡な話にグイグイ引きこんでいくのだから、監督賞受賞も頷けるというものか。

やがて中盤以降、どんでん返しといってもいいほどのビックリ仰天な展開を見せるが、ここからが『ミリオンダラー・ベイビー』の真の見せ場。前半のサクセスストーリーはただの前振りに過ぎなかった事がわかる。そして最後には、すでに恋人同士か擬似父娘かというほど親密になった主人公と女ボクサーが、それまで生きてきた人生の意味、価値観を試される。きっと、あまりにショッキングなこのラストに、立ち上がれぬほど呆然となる観客も多いだろう。

ここで私がいう「価値観を試される」というのは大げさでもなんでもなく、その伏線はいたるところに張ってある。たとえば、もっともわかりやすいのはこの二人がアイリッシュ(アイルランド)系アメリカ人であるという設定。これについては少々解説しよう。

主人公はアイリッシュの古き言語であるゲール語を独学している事でわかるとおり(そのシーンは何度も出てくる)、自らの出自に誇りを持っている。女ボクサーは、米国社会における下層白人(被差別白人)たるアイリッシュらしい貧乏な家庭の出で、その家族は偽申告の生活保護を受けて暮らしているという、どうしようもない連中だ。ハングリーな彼女は大好きなボクシングで身を立て、人生を変えたいと望んでいる。

やがて頭角をあらわす彼女はイギリスチャンピオンと戦うが、このシーンにも注目だ。イギリスとアイルランドは長きに渡って対立してきた歴史があり、アイリッシュのボクサーが民族の象徴たる「グリーンのガウン」をまとってイギリスチャンピオンに挑むという構図が、これほど観客を熱狂させる原因となっている。こういう背景があるからこそ、結果的に彼女はこの試合で大ブレイクをはたす。

ここまで繰り返しアイリッシュを主張しているのは、先ほどいったラストにおける「価値観を試される」場面をより強調するためだ。彼らはたいてい(90パーセント以上は)厳格なカトリックの信者であって、それを米国の観客は全員知っているから、このラストがより引き立つのである。こうした背景を多少でも知っていると、より『ミリオンダラー・ベイビー』を理解するのに役立つ。

ラストシーンの解釈も分かれそうだが、主人公がバッグに入れるものをよく観察していれば、あの結末どういう意味なのか推理する助けにもなろう。

この映画は、楽しい映画でも気楽な映画でもないから、見に行く際はそれなりに覚悟してお出かけになったほうがいい。ちなみに私の感想としては、どうも釈然としない気持ちばかりが残ったが、はたして皆さんはどうお感じになるだろうか。



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