『恋は五・七・五! 全国高校生俳句甲子園大会』40点(100点満点中)

エンタテイメントとしてはまだまだ

正岡子規のふるさと、愛媛県松山市で行われている高校生俳句コンテスト「俳句甲子園」を題材にした青春映画。宣伝によると「文化系スポコンムービー」というらしい。

統廃合を前に、なんとか学校名を歴史に残したいという校長の方針により、「俳句甲子園」への出場が国語教師に命ぜられる。最低出場人数5名をかきあつめたはいいものの、やってきたのはクールで協調性にかける帰国子女、太りすぎでチアリーダー部をクビになった女生徒、いつもウクレレ片手の天然少女、盗撮ばかりしているカメラ部長、野球部の万年補欠といった、どうしようもない落ちこぼればかりであった。

さて、そんなでこぼこ5人組が、俳句なんていうジジクサイ(と映画では何度も強調)部活をやるはめになり、しかも全国大会で優勝を目指すという青春コメディだ。若い役者たちは舞台劇のようなオーバーアクトでそれぞれの役柄を演じ、おかげでとても明るく、からっとした仕上がりになっている。

しかし、人物描写が荒っぽいので、観客が感情移入する間もなくどんどん進んでしまう。こちらが必死に作り手のテンションにあわせているという印象で、いってみればムリヤリ移入だ。たったの5人しか出てこないのだから、それぞれの紹介的エピソードを少し工夫すればすむ話なのに。

俳句を題材にしたというのは真新しいが、それはたんなるキャッチにすぎない。それを使って何を描くかこそ問題だが、友情、恋、どれも中途半端で説得力に欠ける。ならば肝心の俳句バトルの場面くらい、もっと面白く作らないとダメだ。この程度じゃとても大画面での見せ場としては不足だ。地味地味。

また、スポコンを気取るためには、最低限深い挫折とそこから這い上がるという過程が必要だが、登場人物たちは大した苦労をするでもなく、映画上で説得力のある理由もないまま、俳句甲子園とやらをどんどん勝ち上がっていく。いまどきこんなご都合主義では感動は生まれない。

また、これとまったく歩調を合わせる構造になっているのが、当初まったくやる気がなかった部員たちが、お互いに友情を感じ、チームワークを築いていくという流れの部分だが、「俳句の上達」「部員同士の仲良し度アップ」何の脈絡もなく同調させてしまうストーリー作りの単純さにはあきれる。これでは、友情パワーで無敵になれるキン肉マンの世界ではないか。

唯一ライバル校の敵役たちだけはよくキャラクター造型がなされており、なかなかの存在感を示していた。きけばリーダー役以外は演技がはじめての素人たちだという。きっといい思い出になったことだろう。

最後に物語の重要要素の一つ、天然少女がクールビューティな帰国子女に恋するパートが説得力不足。一応映画ではその理由として、「長身の帰国子女がカッコよく目の前で弱者を救った姿を見て、天然少女が一目惚れした」という理由付けがなされてはいるが、これだけではダメだ。

なぜなら、この天然少女が「なぜわざわざ同性」の帰国子女に恋をするのか、「なぜ弱者を救う姿をみただけで恋をしたのか」、その理由を描いてないから。これらは、この天然少女がこの2点について「何がしかのコンプレックス」をもっていることを示すワンシーンを強調すればすむことだ。こうしたフォローがないと、ストーリーもキャラクターも薄っぺらになってしまう。

結局『恋は五・七・五! 全国高校生俳句甲子園大会』は、人間ドラマが荒っぽいため、若者の俳句バトルを題材にしたというだけの映画になってしまっている。せっかく目の付け所はよかったのに、うまく料理し切れなかったのは明らかに企画の練りこみ不足といえよう。この映画を作り、企画した人たちは、「真新しい題材を見つけて興奮した」気分そのままに、サラリと作ってしまったのではないか? そんな底の浅さ、足腰の軽さが伺える気がしてならない。

一見キワモノにみえても、やはりこういう映画は心から長年俳句を愛しつづけてきた本格派の人間が作らなくては、と思う。そうでなければ、俳句のよさも伝わってこない。



連絡は前田有一(webmaster@maeda-y.com 映画批評家)まで
©2003 by Yuichi Maeda. All rights reserved.